狛犬

清水祖師廟の金属獅子

2007年5月17日訪問

大溪の狛犬をたずねたその足で、バスに乗り三峡へ向かいました。

街をはずれ、どんどん山の中を進むバスの風景があまりに変化してゆくので楽しい小旅行気分でした。

清水祖師廟に一番近いバス停でおろしてもらい、街を散策しつつそちらへ向かいました。

Photo 三峡は古い街並みが所々に残っている、ぶらつきがいのあるところでした。

さて清水祖師廟は、芸術性の高い素晴らしい彫刻で大変有名ですが、それ以外にも興味深いところがいくつかあります。

まず台湾神社の鳥居が正殿の廊柱として使われていることは以前紹介しましたが、そのほかにもうひとつ、ここに戦後据えられた一対の金属獅子のモデルが狛犬だという話をフリーライターとして活躍されている片倉佳史さんから伺ったのです(ただしモデルが狛犬らしい、という伝聞以上のことは現在のところ何もわかっていないそうです)。

というわけで、この金属獅子に会いに行くために、バスに飛び乗った次第です。

Photo_2 さて早速会おうと意気込んで乗り込みましたが、参拝客が団体で訪れた直後だったため、もうえらいことです。もみくちゃです。何とか獅子に近づいたものの、とてもゆっくり見ることができません。しばらくうろうろしていましたが、一向に去る気配もないので、一旦諦めて外へ出て、老街をぶらつきました。

しかし、夕方とあって人気もなく寂しいものでした。諦めきれない私はもう一度清水祖師廟を訪れました。すると、丁度記念撮影中で、何と獅子の反対側に人々が集まっているではありませんか!

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Photo_5 このチャンスを逃してたまるか!と必死で写真を撮り、そしてなでなでしました。獅子の頭は大勢の参拝客になでられて、ぴかぴかに輝いていました。

さてこの獅子は、金属狛犬をモデルにしたのだとは思うのですが、それにしてはあのりりしさにかけます。やさしい姿をしており、顔つきなどは特に異なり、どちらかといえば石造り狛犬にも近いものがあります。台湾の狛犬には、金属狛犬と石造り狛犬が混ざったような姿をしたものが見られますが、そのようなパターンをモデルとしたのかもしれません。

また、三義の木彫博物館で見た日本統治時代の木彫狛犬にも似ています。

それは、普段見かけるような木彫狛犬とは似ても似つかぬ姿をしており、石造り狛犬をモデルにして彫ったのではないかと思うような、やわらかい表情とやさしいつくりをしていました。

なぜ木彫狛犬で、そのような姿のものが存在していたのかと、最初見たときにはかなり驚きました。

しかし台湾国内において狛犬は独特のアレンジをされていることが多く、その木彫狛犬ももしかしたらその必要性がまず第一で、こうあるべきという決まりよりもそこにあることが優先され、その結果石造り狛犬や金属狛犬といった既存の狛犬の姿を基に彫られていったのかもしれません。

いずれにせよ、清水祖師廟で日々任務に励んでいるかわいらしい金属獅子が、いつかどこのどのような狛犬をモデルにして作成したものなのか、それがわかる日がやってきたらとても嬉しいのですが・・・

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社路墘社(虎山社)の狛犬

2004年12月30日(木)訪問

Sp1000491 ここはもともと、社路墘製糖所(現在の仁徳糖廠)構内神社のあった場所とのことですが、現在、阿弥陀仏堂となっています。

そこに安置されている仏像は、日本統治時代に納められたものだそうで、確かに台座には「民國二十三年(昭和の年号が修正されています。=昭和九年)五月廿七日」の年号が刻まれていました。

さてこの石獅ですが、台座部分に「昭和九年五月吉日」の文字が見られます。更には「奉納」の文字及び奉納者名も数多く刻まれています。

先日、この石獅についての疑問に対して、狛犬友達に話をしたところ、実に明朗な回答をいただきました。

まずliondogさんからこの台座は中国石獅のスタイルであることを指摘され、なるほどそうだなあと納得していたら、すぐに台湾の仲間から連絡をいただきました。そして知りたかった情報を教えていただけました。それは銅銭に刻まれた文字が「昭和九年」であることです。

なぜ当時それを見ていなかったのか(気づかなかったのか)覚えていませんが、最初の頃石獅については「中国獅子をそのまま(狛犬として)据えたもの」と思い込んでいたことを思い出しました。。その後何度もそのパターンのものを見たり、当時の資料で確認することにより「中国獅子を最初から狛犬として据えるために製作したもの」と判明したため、じっくり見るようになりましたが・・・何だか申し訳ない気持ちでいっぱいです。近いうちに、ちゃんともう一度狛犬として会いなおしに行こうと思います。

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尚、周囲には神社時代の名残として、柵の一部や階段の一部が見られます。

アクセス方法:保安駅から駅前通を進み突き当りを右折、煙突を目標にひたすら20分ほど歩くと仁徳糖廠の正門があり、その奥左手の宿舎がある方向へ入るとほどなく神社跡が見えてきます。

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月眉糖廠の狛犬

2006年7月18日訪問

Sp1030761Sp1030739 台中県后里郷に民國前三年(1909年)誕生した「大甲製糖所」がのちに月眉糖廠となり、そして戦後も改修工事等を経て生産量を回復していたものの、1999年3月には操業を停止。

現在は観光糖廠として再び活気を取り戻しており、私が訪れたときも大型バスで観光客が何組も訪れておりました。

ここの狛犬は恐らく糖廠内にあった神社に据えられていたものでしょうが、肝心の神社の資料がまったく見つかっておりません。

ですので、神社の鎮座年、ご祭神などの情報は他の糖廠内神社同様、残念ながら全くわかりません。

正門を入ってすぐ、正面にある建物の入口両脇に狛犬が据えられています。この建物は糖廠の事務所だったのでしょうか。

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狛犬は、なんとも絵画的な表情をした特徴のある姿をしており、何かモデルになった狛犬があるのではと推測しております。また歯の並びの美しさが目を引きました。

更に、吽の頭頂部に角らしきでっぱりがありました。

尾の形は台湾の狛犬によく見られる、両脇の巻毛、中央に立毛というスタイルです。

一目見て狛犬と認識できるバランスの良さ、きれいな彫り、一見の価値がありますのでお近くを訪れた際にはぜひお立ち寄りください。

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Photo_4またこちらでは工場内の見学が楽しめます。なかでも煙のトンネルはなかなか迫力がありました。

見学後は名物のアイスキャンデーを勝利號の車内でいただくのもおつなものですね。

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和美公学校校内神社の狛犬

2006年7月18日訪問

Wabi1 彰化県和美鎮にある、和美國小を訪ねました。この立派な小学校の門をくぐり、狛犬の場所を探そうとしましたが、全く見当がつきません。丁度夏休みとあって、子供たちの姿もまばらです。

やっと上級生をつかまえて、狛犬の場所を教えてもらえました。そこは立派な校舎の横、すくすくと育った樹木の木陰になっており、学校の歴史を記したプレートをはさむようなかたちでちゃんと据えられていました。

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狛犬自体は、新城神社のライオン風狛犬とよく似ています。このパターンは獅子をベースに狛犬を作ろうとした感じがします。尾が特に獅子のようです。何故こういうパターンが登場したのか、一体何が基になったのか、それが気になります。また、和美と新城という離れた場所に存在するのも謎のひとつです。このパターンが広く出回っていたということなのでしょうか。

色々考えながら狛犬を観察していると、子供たちが「何をしているの」と集まってきました。そして先生もやってきました。

狛犬を見に来たと言うと先生は自分は体育教師で「今は夏休みで(そういうことに)詳しい先生がいないので・・・」と仰り、そのまま小学校の資料室へ案内してくださいました。そこには学校の歴史が壁一面に記され、歴代校長の写真や、百周年記念イベントの様子や、折々の行事の写真などが飾られていました。一通り眺めていましたが、その間に先生が狛犬の写っている写真を探して下さっていました。あいにく見つかりませんでしたが、その代わりにと立派な百周年記念冊子を下さいました。その中の古い写真にはかつて神社前に据えられていた狛犬の姿が写っていました。

暑い中、汗だくになって資料を探してくださった先生に厚くお礼申しあげ、小学校を後にしました。

帰国してからゆっくりその冊子を眺めていると、狛犬についてのエピソードが紹介されている新聞記事が見つかりました。そちらを簡単に紹介します。

その記事によると、この小学校は1899年に創立、当時は「和美線公学校」と称しました。創立当初校舎はなく、道東書院を借りて授業を行っていました。6年後の1905年に6つの教室を有する校舎が建てられ、正式に学校としてスタートしました。

その近くには神社がありましたが、第十六回(1920年)卒業生によって一対の狛犬が奉納されました。

戦後神社は撤去されましたが、狛犬は引き続き子供たちと共に学校生活を送っていました。民國五十四年、新校舎設立の際に、役目もなく日本色の濃い狛犬を土中深く埋めてしまおうという話になりましたが、数名の先生方による「保存への強い訴え」のもと、狛犬は何とか難を逃れることができました。

その先生は「狛犬は日本統治時代の遺物としてだけではなく、卒業生達が学び舎へ帰ってきたとき、この狛犬に触れて昔をしのぶことが出来る、大切な思い出の品でもあるのだから、軽率に埋めてしまおうものなら、和美國小の百年に渡る歴史の足跡を辿ることができなくなってしまうのです」と仰られたそうです。

Wabi2 狛犬は先生方の尽力により、校舎の横に安住の地を得ることができました。

これからも在校生を護りそして卒業していった生徒達の懐かしい思い出となり、学校とともに歩み続けるのです・・・

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善化糖廠内神社の狛犬

2007年5月13日訪問

Sp1050143 善化糖廠は、現在ちょっとした人気スポットとなっています。夕方訪れたのですが、結構な人でにぎわっていて驚きました。

アイスクリームを求め、多くの人々が売店に群がっていました。私もまずは緑豆のアイスキャンデーを楽しみました。

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売店で狛犬がいる場所を尋ね、アイスを食べながら煙突の見える方向へ歩いてゆきます。どんどん人気がなくなり、ちょっと離れただけで随分寂しい雰囲気に・・・

そして、階段脇に据えられている狛犬を見つけました。役目を無くし、所在なげにひっそりと佇む姿になんともいえない気持ちになりました。ただ黙ってしばらく頭をなでていました。

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この狛犬はセメント製です。そのため風化が進んでおり、このままだと静かに朽ちてしまうでしょう。

形は石造狛犬というより、木彫に近いようなすっきりしたものです。尾の部分を観察すると、根元の部分があり、そこからすこし上の部分に何かがくっついていたような跡が見られました。

もしかすると根元がループ状になった、金属狛犬のような尾をしていたのではないでしょうか。しかしセメントで造られていたため、その形状ではそう長らく耐えられなかったのでしょう。木彫に近いということは、ブロンズ狛犬にも似ているということですから、やはりその辺を意識して作られた狛犬なのでしょう。

台座には「昭和」「奉納」の文字がうっすら伺えました。奉納者の氏名も何とか確認できました。

S_2日が暮れ行く、あたたかいオレンジ色をした光の中で遠ざかる狛犬は儚げで、そのまま静かに消えてしまいそうでした。

目に焼きついて離れない、本当に寂しげな姿でした。

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「火山」碧雲寺の金属獅子

枕頭山の山麓に位置する碧雲寺は、200年以上の歴史を誇る関子嶺の名刹です。

門前には立派な石獅子が据えられておりますが、実はそのほかにもブロンズ製の獅子が後殿に据えられているのです。

同じく狛犬を趣味とする台湾の朋友が「この獅子はかつては狛犬だったということです」と教えてくれたのは前日のことでした。私は居ても立ってもいられず、翌日早速会いに行った次第です。

期待に胸を膨らませ、門をくぐります。しかし、それらしき姿が見当たりません。

P1080436正面には、比較的新しいものに見える獅子が据えられています。

もしかすると、これのことでしょうか・・・じっくりと眺めます。所々痛みが見られますが、大変美しいのでこれは違うのではと首をひねっていました。

すると、お寺の人たちがやってきて、おもむろにこの獅子についてのいわれを説明してくださいました。

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それによると、やはりこの獅子は日本統治時代、神社に据えられていたもので、戦後こちらへ持ってきたそうなのです。

しかし、それが一体どこの神社のものかなど具体的なことは全くわからないそうです。周りの人々もその説明にその通りだと同意していました。

帰国後、色々調べてみましたが、なかなか資料を探し出せず現在に至ります。

痛みの少ない理由としては、戦後しばらくどこかにしまわれていた狛犬が、何かの拍子に思い出されたかして、丁度きれいになったこのお寺へ据えたらいいんじゃないかということになってのかもしれませんね。

あのお寺の皆さんが嬉しそうになでながら説明してくださったこの獅子について、またこれもひとつのかたちとして狛犬の仲間へ入れておきたいと思うのでした。

ちなみに最近修築されたのか、お寺は大変美しくまばゆいばかりでした。

狛犬の台座も、そのとき一緒にきれいにしたのでしょう。

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能高神社の狛犬

2006年11月22日訪問

能高神社は現在の南投県埔里鎮、虎頭山にありました。

昭和十五年十月鎮座。ご祭神は大国魂命、大己貫命、少彦名命、能久親王。

Sp1040234 戦後、石灯籠の一部と石獅が中心街よりすこし外れたところにある醒霊寺へと移されました。

しかし、石獅といっても狛犬ではなくあくまでも山門に据えられている「石獅」であって、それ以外については詳しいことがわかりませんでした。

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尚、この石獅は「大埔城」の門前に据えられていた130年の歴史がある立派なものですが、その後神社に移設されたものを戦後このお寺へ移したということです。最近になって雨風に晒され苔むして風化することを恐れ、レプリカを作成、それを据えて本家は大切に保存することになったようです。

しかし、台日会の世話役をされている喜早天海さんから大変興味深い記事を紹介していただきました。そこには日本の狛犬らしきものがこの寺に据えられているが、忘れられたような存在となり、寂しそうだ」というようなことが書かれていました。

記事を頂いたのが2006年の7月、それから気になって仕方ありません。そして11月、チャンスを見つけて早速訪れました。

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山門を過ぎ、ずっと奥へ行くとありました、遠目から見ても狛犬に間違いありません。駆け足で近づきます。

まず吽がおり、その斜め向かい、ずいぶん離れたところに阿がおりました。かなりそれだけでも寂しい感じがします。しかし愛嬌のある表情をし、狛犬の証である角(一角)もしっかり際立っています。

台座には「二千六百年十月」「奉献」の文字が刻まれており、鎮座の年と同じであることから恐らく能高神社の狛犬であると思われます。

ただ、台湾の「国家文化資料庫」などで古い神社の写真を確認したのですが、この狛犬とは別の狛犬らしきものが写っておりました。

他の資料を見たところ、また別に台座のみがのこった狛犬らしきものがこの敷地内にあるようです。こちらは、九二一大地震の際、崩れてしまったようですが、もしかするとこの狛犬だったのかもしれません。

実はこの日は朝から大雨で、無事に狛犬と会えるのか心配でたまらなかったのですが、埔里に近づくにつれどんどん晴れてゆき、お寺では明るい日差しのなか対面を果たすことができました。お天気にも感謝の気持ちでいっぱいでした。

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最終日(五日目):宜蘭神社の狛犬と神馬

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前日は台風の影響で大雨でしたが、最終日の朝は霧雨程度になりました。

朝食後、いよいよ最後の目的地となりました宜蘭神社跡へと向かいました。

ここは戦後、忠烈祠となっていましたが最近になって美しい公園へと整備されました。

また、本殿跡は郷土資料館となっており、そこではかつての蘭陽平野一帯の神社についても紹介されています。

狛犬については以前ご紹介しておりますので、そちらをご参照ください。

Photo_4 また、神社には狛犬のほかにも神馬が据えられていました。

しかし戦後とある人が宜蘭市内にある文昌廟へと移し、現在そこで祭られています。

今でも往時の立派な姿は健在でした。

大変美しい、宜蘭神社のスケールにふさわしい神馬です。

                                         

これで全ての行程を終えました。

私は、上杉先生と狛犬たちが対面を果たせたことが本当にうれしくてなりませんでした。

これまで、こつこつと様々な狛犬たちに会いに行きました。

最初はたやすい道のりでしたが、だんだんと情報を得ることが難しくなり、仲間や知人、そして訪れた先の人たちに助けてもらいながら、やっとの思いで会えたことも度々でした。

今現在、それぞれが違った立場となって色んな思いを抱いているであろう台湾の狛犬たちですが、「狛犬」としてごく単純な気持ちで愛する気持ちを持って会いに行くと、心なしか喜んで迎えてくれているような気がするのです。

今回は、私にとっても、そして台湾の狛犬たちにとってもまたとない貴重な機会となりました。

関わった全ての皆さん、そして全ての事柄に感謝の気持ちを捧げたいと思います。

ほんとうにありがとうございました。

実はまだここで紹介できていない狛犬たちがたくさんあります。

それは全て色んな人たちの助けを得て会えた狛犬です。本当にありがたいことです。

これから思いを込めて、ひとつずつ紹介してゆきます。

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第四日目:基隆神社~河東堂獅子博物館

風獅爺を全て見終わった後、昼食を「金門牛家荘」でいただきました。

こちらでは火鍋でサバヒーをいただきました。更には名物の牛肉麺まで!

とてもおいしく、幸せなひとときを過ごしました。

金門尚義機場の近くには大変立派な風獅爺が立っており、その大きさに驚きなつつ別れの挨拶を告げました。

台北へ戻り、基隆へ向かいます。風雨がどんどん強まってきます。台風の影響がかなり出ています。

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到着して神社跡を訪れましたが、かなりの風でした。雨にずぶぬれになってしまった狛犬です。

※この基隆神社の狛犬については、以前に書いておりますので省略いたします。

荒れる海を眺めながら、一行は予定を変更しそのまま宿泊先である河東堂獅子博物館へ向かいました。

河東堂獅子博物館では、実に多くの獅子を堪能することができます。

以前訪れたときの様子をこちらで報告しておりますので、ご参照ください。

上杉先生も、多くの可愛い個性的な獅子たちに囲まれ、ことのほかお喜びのご様子でした。

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第四日目:金門島の風獅爺5

( 次の風獅爺に行く途中に、夏墅村と東洲村の風獅爺を通りすがりに見ることができました。)

9:泗湖村「浯洲陶芸」の風獅爺

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「許願池」のほとりに据えられている風獅爺は、陶芸家の王明宗氏の作品とのことです。

鑑賞型風獅爺に属するこの色鮮やかな風獅爺は、実際目の当たりにするときっとびっくりすることでしょう。何ともいえない迫力があります。

ここでは風獅爺がたくさん生み出され、また小さな作品をお土産としても手頃な価格で購入できます。私も一体お気に入りと出会えたので一緒に帰国しました。         

10:榜林村の風獅爺

S1127 この村にはかつてレンガ及びセメント製の風獅爺が一体ありましたが、民國三十八年に壊されてしまい、その後とある人が個人で資金を出してこの風獅爺を中国から購入し、民國八十二年に開光点眼の儀式を執り行ったそうです。

この風獅爺は本体と台座が一体となっており、台座の四方には美しい文様が彫られています。右手に筆を持ち、左手には印を握っています。

以上、金門島で実際会うことの出来た風獅爺を簡単にご紹介いたしました。

沖縄のシーサーとの関連性について、かなり気になるところです。

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第三日目:金門島の風獅爺3

5:瓊林(金湖鎮)の風獅爺

この集落は古跡が多く、家屋なども良く残っています。とても風情のあるところです。

①保護廟の石造風獅爺

Photo_10 もともとこの風獅爺は保護廟舎仔寺後方にあり、民國三十八年に工事を行った際、土中に誤って埋めてしまったものの、民國四十年前後に雨水に洗われてその姿を現したので、若い村人達が中心になって本来の場所近くに据えなおしましたが、民國四十八年公衆トイレ設置工事のため、現在の場所へ更に移設されたそうです。尚、台座の石は村人達が太武山から運んできたものだそうです。

手には軍令用の小旗を握り、信仰の厚さを物語る赤い立派なマントをなびかせる姿はこれこそまさに風獅爺!という風格で「一夫関に当たるや万夫も開く無し」の意気込みを見せています。

②蔡一族祖廟の風獅爺

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路沖を避けるために祖廟の壁に嵌め込まれている風獅爺は、「塀・屋根の棟型風獅爺(塀に嵌め込んであったり、屋根の上に乗せられている風獅爺。小ぶりでかつ蹲踞型が多い。個人の所有が主で、辟邪を目的として据えられる。)」の中でも特に大きなものです。

塀・屋根の棟型風獅爺は、ここで初めて見たので余りに嬉しくて、遠くからの画像もつけてしまいました。路沖の具合がわかっていただけるかと思います。

6:安岐(金寧郷)の風獅爺

Photo_11 この風獅爺は金門島最大の大きさを誇っています。

この村落では風獅爺が風遮り、風雞が路沖を避け、水尾塔が村境を守っています。

そしてこの立派な風獅爺には「かつて海賊がはびこっていた時代、風獅爺は両の眼を明るく光らせて海賊達にここで(略奪など)は無理だと悟らせ退却させた」という伝説があるそうです。

三日目はここで終了です。また明日・・・

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第三日目:金門島の風獅爺2

2:西園塩場(金沙鎮)の石造風獅爺 

1_22_2西園塩場正面入口横にはオス、そして塩場倉庫の脇にメスの風獅爺が据えられています。

風獅爺はかつて村人共に大小さまざまの戦いを経てきた仲間でもあり、その台座には弾痕がいくつも重なっていたような中、村人達は風獅爺が村を護るという思いをずっと抱き続けてきたそうです。

オスの風獅爺は右手に筆を握り、左手に印を持ち、美しい彫りをした堂々たる姿で見るものを魅了してなりません。

メスの風獅爺は、オスより若干小さく、右手に球を持ち、左手に彩帯を握っています。こちらもどこか愛嬌のある、親しみを感じる風貌をしています。

3:沙美街「西尾甲」(金沙鎮)の石造風獅爺

Photo_8 この風獅爺は、民國七十四年に国内で手に入れたものを据えたもの。そのせいか風獅爺というより、どちらかというと石獅に近い外観でした。

この沙美街にはかつて四体の異なる「甲頭」に隷属する風獅爺があり、毎年旧暦四月二日、風獅爺の生誕日にはすべての信者が拝拝に赴き、瓜や果物、ビスケットに油麺などを風獅爺の前にたくさん並べて祭ったそうです。                                     

                            

4:后水頭(金沙鎮)の風獅爺

①榮湖畔の風獅爺

39 かつて存在していた風獅爺の二代目として、十数年前頂堡村の石工にお願いして新しく彫ってもらったもので、さらにその後黄獻鐘氏によってペンキで塗り上げられたそうです。

とても小さな風獅爺が村落の北境を守る姿は大変けなげで、思わずねぎらいの声をかけたくなってしまいます。

①汶源宮廟埕の風獅爺

40_2  誉れ高き「美背」風獅爺の名に相応しい、大変美しい背中のたてがみを誇る、立派な風獅爺です。

気品漂う大きな瞳、額に描かれた「王」の文字、美しい彫り、心を奪われてしまう素晴らしさでした。

この風獅爺には伝説があり、それによると体のねじれは風獅爺が自らひねったものだそうで、なかなか興味深いお話です。

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第三日目:金門島風獅爺その1

それでは、今回訪ねることのできた風獅爺について簡単にご紹介してゆきます。

1:陽翟(金沙鎮)の風獅爺

ひとつの集落内に「村落型風獅爺(比較的大型で、主に石造。村落の郊外に置かれ、村民全体が所有するものであり、村落全体及び村境を守る。村民は生誕日以外にも普段通り過ぎるときにも拝むことを忘れない。)」が4体もあるのは、金門の中でもこの陽翟だけとのこと。今回はうち3体に会うことができました。

①村の南側斜面に立つ石造風獅爺

1 修築工事の際、うっかり土中深く埋めてしまったが、民國七十二年になってようやく再び掘り出されたもので、毎年旧暦九月二十一日(普庵佛祖生誕日、會山寺で壇を設け祈祷するその時)に拝拝するそうです。

初めて実物に会ったわけですが、あまりにかわいらしくて驚きました。

重責を担っているのに、なんとも素朴で愛らしい、それでいて味わい深い姿にもう釘付けでした。

②會山寺前方の廟埕に立つ石造風獅爺

3 体は細長く、手には黄色い軍令旗を握っています。

この前方に見えているのが国家三級古蹟に名を連ねる「陳禎恩榮坊」になります。                                    

                                               

③會山寺後方に立つ風獅爺

2 陽翟村内唯一のレンガ及びセメント製の風獅爺。内側にレンガを積み、外側をセメントで造り上げたもので、一度壊されたものの民國七十四年、會山寺建て直しの際に風獅爺もあわせて修築し、現在の姿となったそうです。

高い鼻、大きく太い眉が特徴で、表情はりりしさの中にも愛らしさが垣間見え、作り手の愛情がひしひしと感じられました。

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第三日目:金門島の風獅爺

三日目の午後は、高雄の空港から金門島へ行きました。金門島の風獅爺を見るためです。

今回の旅行を計画する前、先生から「金門風獅爺與辟邪信仰(楊天厚・林麗寛著)」をお預かりし、その内容を資料として先生にお渡ししていたのですが、ぜひ今回の旅行で風獅爺を見てみたいということで旅程に組み入れました。

私はこの本を読むまで風獅爺のことはあまり詳しく知らなかったのですが、読み終えるとすっかりその魅力のとりこになっていまいました。

今回は金門島の滞在時間が限られること、軍事施設の見学も含めるということで、風獅爺の一部を廻ることしかできませんでしたが、それでも初めて見る風獅爺には大変感動を覚えました。

風獅爺は村の入口(=はずれ)や、集落の入り組んだ場所に置かれていることがほとんどなので、MTBなどに乗ってのんびりひとつずつ訪ね歩くのが楽しいかもしれませんね。

※尚、これからご紹介する風獅爺につきまして、内容は前述の「金門風獅爺與辟邪信仰」を参考にしております。

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第三日目:台南神社、高雄神社の狛犬

三日目の朝は小雨模様でしたが、最初の台南神社跡までは傘をささずとも大丈夫でした。

Photo Photo_2 台南神社跡は現在公園となっており、また神苑内にあった武徳殿は忠義国民小学の敷地内にあります。去年補修工事が終わり、大変美しい姿を見ることができます。また当時の神橋が地中から掘り出され、神苑の一部を再現した形で再度お目見えすることとなりました。

さて台南神社の狛犬はこちらではなく、忠烈祠に移設されています。

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Photo_5 こちらには石造狛犬、ブロンズ狛犬のほかに神馬像をも見ることができます。

また、上杉先生のお話では台南神社のブロンズ狛犬及び神馬は、出来が良いので恐らく名のある彫刻家の手によるものでしょうとのことでした。

特にブロンズ狛犬ですが、最初一目見られて仰るには湊川神社の狛犬とよく似ているので、何か関係がないかとのことでした。こちらにつきましては、何かわかり次第またこちらでも報告したいと思います。とても気になるお話でした。

続いて、しとしと降りになってきた中、バスで高雄神社へ移動しました。

ここには御影石の立派な狛犬がありますが、私が台湾で初めて出あった狛犬でした。

そのときはツアーに参加して、初めて台湾を訪れた、そして更に初めて訪れた観光地でした。ここで私は衝撃の出会いを経験したのでした。それからずっと、こつこつと狛犬を訪ね歩く旅を続けているのですから、高雄神社の狛犬にはやはり特別な思いを抱いています。

雨の中、静かに先生との対面を果たす狛犬の姿を見て、胸がいっぱいになりました。

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高雄神社の狛犬は、岡崎狛犬と浪花狛犬、そして中国系の石獅も混ざったような、えもいえない風味をかもしだしています。それでも、一見して狛犬と判断できますね。その混沌としたところが台湾に残る狛犬の特徴だと思います。

(狛犬の画像は、別の機会に撮ったものを使用しています)

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第二日目:開山神社(台南神社の狛犬)

再び一行はバスに乗り込み、今度は台南方面へ向かいました。

Sp1060142 今回、「飛虎将軍廟」に参拝しました。ここには日本海軍の飛行機搭乗員、杉浦茂峰少尉が祀られています。私は二度目の訪問となります。前回は何もなく静かでしたがこの日は生誕祝い(生誕日は旧暦10月16日ですが、お供えに「聖誕千秋」とありました)が盛大に行われており、たいそうにぎやかでした。

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もう日が暮れかかっていたのですが、開山神社(現:延平郡王祠)も本日訪れる予定となっていたため、大急ぎでそちらへ向かい、何とかぎりぎり拝観時間内に入ることができました。尚、開山神社は台湾で最初に建てられた神社となります。

戦後、社殿は改築され中国式となっていますが、当時の神輿が残っており、中に展示されています。

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Sp1080369ところで延平郡王祠の牌楼両脇に据えられている石獅子なのですが、上杉先生によると、開山神社のものだったのではないか、とのお話でした。

私自身で実際見たところでも、確かに日本統治時代あたりに作られたものではないかという質感でした。

そのため資料を探しておりますが、残念ながら現在のところ当時の資料で狛犬が写っているものを確認することが出来ておりません。引き続き探して行きたいと思っております。

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この敷地内にある、「台南市民族文物館」の脇には台南神社の笠木がひっそりと置かれています。

そして文物館の前に据えられている石獅子、これは台南神社のものと思われるのです。

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実際見たところ、まさにあの時代の獅子と思われる状態であり、またおなじみのliondogさんのサイトで紹介されている、台南神社の絵葉書のうち、拡大されている石獅子(吽)と実によく似ています。

この石獅子と対面するのはこの時点で2回目でしたが、最初に会ったときから「これはもしや狛犬として据えられていた石獅子ではないか」と疑問を抱いていました。

やはり台南神社の狛犬と思われますので、文献等を探し出してゆきたいと思っています。

この日はこれにて終了です、狛犬たちが今もけなげに頑張っている姿に上杉先生はとても喜ばれており、また心の中でエールを送られていたそうです。

(注:一部画像は、別の日に撮ったものを使用しています)

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第二日目:嘉義神社

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続いて国幣小社であった嘉義神社へ向かいました。

現在、神社跡は忠烈祠となっていますが、書き換えられた社標の土台 部分には石工の名前(日本名)が刻まれていました。   

                                                                                                                     

Sp1060125Sp1060126嘉義公園の奥にある射日塔が建っている場所が、かつて本殿のあったところになります。片倉佳史さんによるとその本殿が建てられる前には、宝物殿の対面に旧本殿があったそうで、その跡が今でも残っています。

私が台湾の狛犬を訪ねるために旅するようになって、初めて会いに行ったのがこの嘉義神社の狛犬たちでした。もう一度、このような素晴らしい機会に訪れることが出来て、感無量でした。

嘉義神社の狛犬は、現在2対残っております。台座が雲脚台となっていますが、上杉先生のお話ではこちらは手間が掛かるため滅多に作らないため、それだけこの神社が重要視されていたのではないかというお話でした。

Sp1060100 Sp1060092 入口に近いところの一対は、毛や犬歯に違いがありますが、前にご紹介しました台湾神宮の狛犬と垂耳の具合や、尾の形が似ております。

やはり何らかの同一モデルが存在して、そこにアレンジが加わったのではないでしょうか。                

                                   

Sp1060113 Sp1060118 奥の宝物殿手前に据えられている一対は、美しい彫りをしております。

形としては、基隆神社の狛犬と似ておりますが、嘉義のほうが若干中国風味が強くなっているような感じです。

                                        

前回入館できなかった資料館で、今回貴重な資料を発見しました。古い嘉義神社の写真なのですが、旧本殿と思われるその前に狛犬が据えられているのです。その尾はぴんと細長く立っており、根元はループ状になっています。更には筋肉質の体格、とくればブロンズの狛犬ではないでしょうか。慌てて上杉先生にご確認いただいたところ、やはりそうではないかとのお話でした。

そのブロンズ狛犬が一体どこへ行ってしまったのか、もう残っていないのか、全くわかりません。しかし、ブロンズ狛犬を据えていたということは、この神社の存在の重みを増すことになるのではないでしょうか。これから嘉義神社のブロンズ狛犬について、何か資料が出てくると良いのですが・・・

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