狛犬

青山宮の石獅

2007年5月18日訪問

Photo 艋舺青山宮は台北市貴陽街にある台北市三級古跡のひとつです。1956年創建、霊安尊王を祀っています。

ここには狛犬によく似た石獅が据えられているということで、早速会いに行きました。

青山宮は古い街並みの中によく似合った歴史を感じさせる廟なのですが、正面に近づくとまず目を奪われるのがその石獅でした。

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Photo_4 確かにオスの首には鈴がついており、メスは玉取りで子供を連れているというところは石獅らしいのです。

しかし立尾、大きな頭、垂れた耳、そして何よりも狛犬の証とも言える渦巻状の紋が入っているのです。

さてこの狛犬のような石獅は一体いつ頃据えられたのかと、廟の中へ入りチラシをいただいて読んでみました。しかし残念ながら石獅についての記述は特に見られませんでした。

それによると、今の建物は日本統治時代に建てられたもので、清の時代の宮殿建築を取り入れているそうです。後殿は戦後改築されたそうですが、前殿は当時のままのようです。

Sp1050733 さて石の彫刻が大変素晴らしい前殿をじっくり眺めていると、そこかしこに「昭和十三年」の年号が見られます。とすれば、この石獅も恐らくその時期にあわせて据えられたものでしょう。台湾国内で見られるほかの狛犬と鑑みて、この形ならばしっくり来ます。

なぜ廟に狛犬を据えたのか、もちろん日本統治時代だということで考えるのが一番妥当だとは思います。

しかし、戦後台湾国内の寺廟前に据えられた、しかも1980年代以降の新しい獅子(石造りおよび金属製)の中にはどう見ても日本の狛犬をモデルにしたとしか思えないほどにその特徴を備えたものがいくつか存在していることが、台湾の狛犬仲間からの報告により判明しました。

ということは、もしかすると単純に狛犬の姿形がある意味気に入られたところもあるのではなかろうか、という気がしているのです。

獅子の仲間であり、そしてどこか漫画のような、愛嬌のある狛犬が、どこかで好かれているのだとすれば、狛犬だけではなく奉納した人たちや石工の人も嬉しいものがあるでしょう。

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清水祖師廟の金属獅子

2007年5月17日訪問

大溪の狛犬をたずねたその足で、バスに乗り三峡へ向かいました。

街をはずれ、どんどん山の中を進むバスの風景があまりに変化してゆくので楽しい小旅行気分でした。

清水祖師廟に一番近いバス停でおろしてもらい、街を散策しつつそちらへ向かいました。

Photo 三峡は古い街並みが所々に残っている、ぶらつきがいのあるところでした。

さて清水祖師廟は、芸術性の高い素晴らしい彫刻で大変有名ですが、それ以外にも興味深いところがいくつかあります。

まず台湾神社の鳥居が正殿の廊柱として使われていることは以前紹介しましたが、そのほかにもうひとつ、ここに戦後据えられた一対の金属獅子のモデルが狛犬だという話をフリーライターとして活躍されている片倉佳史さんから伺ったのです(ただしモデルが狛犬らしい、という伝聞以上のことは現在のところ何もわかっていないそうです)。

というわけで、この金属獅子に会いに行くために、バスに飛び乗った次第です。

Photo_2 さて早速会おうと意気込んで乗り込みましたが、参拝客が団体で訪れた直後だったため、もうえらいことです。もみくちゃです。何とか獅子に近づいたものの、とてもゆっくり見ることができません。しばらくうろうろしていましたが、一向に去る気配もないので、一旦諦めて外へ出て、老街をぶらつきました。

しかし、夕方とあって人気もなく寂しいものでした。諦めきれない私はもう一度清水祖師廟を訪れました。すると、丁度記念撮影中で、何と獅子の反対側に人々が集まっているではありませんか!

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Photo_5 このチャンスを逃してたまるか!と必死で写真を撮り、そしてなでなでしました。獅子の頭は大勢の参拝客になでられて、ぴかぴかに輝いていました。

さてこの獅子は、金属狛犬をモデルにしたのだとは思うのですが、それにしてはあのりりしさにかけます。やさしい姿をしており、顔つきなどは特に異なり、どちらかといえば石造り狛犬にも近いものがあります。台湾の狛犬には、金属狛犬と石造り狛犬が混ざったような姿をしたものが見られますが、そのようなパターンをモデルとしたのかもしれません。

また、三義の木彫博物館で見た日本統治時代の木彫狛犬にも似ています。

それは、普段見かけるような木彫狛犬とは似ても似つかぬ姿をしており、石造り狛犬をモデルにして彫ったのではないかと思うような、やわらかい表情とやさしいつくりをしていました。

なぜ木彫狛犬で、そのような姿のものが存在していたのかと、最初見たときにはかなり驚きました。

しかし台湾国内において狛犬は独特のアレンジをされていることが多く、その木彫狛犬ももしかしたらその必要性がまず第一で、こうあるべきという決まりよりもそこにあることが優先され、その結果石造り狛犬や金属狛犬といった既存の狛犬の姿を基に彫られていったのかもしれません。

いずれにせよ、清水祖師廟で日々任務に励んでいるかわいらしい金属獅子が、いつかどこのどのような狛犬をモデルにして作成したものなのか、それがわかる日がやってきたらとても嬉しいのですが・・・

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社路墘社(虎山社)の狛犬

2004年12月30日(木)訪問

Sp1000491 ここはもともと、社路墘製糖所(現在の仁徳糖廠)構内神社のあった場所とのことですが、現在、阿弥陀仏堂となっています。

そこに安置されている仏像は、日本統治時代に納められたものだそうで、確かに台座には「民國二十三年(昭和の年号が修正されています。=昭和九年)五月廿七日」の年号が刻まれていました。

さてこの石獅ですが、台座部分に「昭和九年五月吉日」の文字が見られます。更には「奉納」の文字及び奉納者名も数多く刻まれています。

先日、この石獅についての疑問に対して、狛犬友達に話をしたところ、実に明朗な回答をいただきました。

まずliondogさんからこの台座は中国石獅のスタイルであることを指摘され、なるほどそうだなあと納得していたら、すぐに台湾の仲間から連絡をいただきました。そして知りたかった情報を教えていただけました。それは銅銭に刻まれた文字が「昭和九年」であることです。

なぜ当時それを見ていなかったのか(気づかなかったのか)覚えていませんが、最初の頃石獅については「中国獅子をそのまま(狛犬として)据えたもの」と思い込んでいたことを思い出しました。。その後何度もそのパターンのものを見たり、当時の資料で確認することにより「中国獅子を最初から狛犬として据えるために製作したもの」と判明したため、じっくり見るようになりましたが・・・何だか申し訳ない気持ちでいっぱいです。近いうちに、ちゃんともう一度狛犬として会いなおしに行こうと思います。

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尚、周囲には神社時代の名残として、柵の一部や階段の一部が見られます。

アクセス方法:保安駅から駅前通を進み突き当りを右折、煙突を目標にひたすら20分ほど歩くと仁徳糖廠の正門があり、その奥左手の宿舎がある方向へ入るとほどなく神社跡が見えてきます。

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月眉糖廠の狛犬

2006年7月18日訪問

Sp1030761Sp1030739 台中県后里郷に民國前三年(1909年)誕生した「大甲製糖所」がのちに月眉糖廠となり、そして戦後も改修工事等を経て生産量を回復していたものの、1999年3月には操業を停止。

現在は観光糖廠として再び活気を取り戻しており、私が訪れたときも大型バスで観光客が何組も訪れておりました。

ここの狛犬は恐らく糖廠内にあった神社に据えられていたものでしょうが、肝心の神社の資料がまったく見つかっておりません。

ですので、神社の鎮座年、ご祭神などの情報は他の糖廠内神社同様、残念ながら全くわかりません。

正門を入ってすぐ、正面にある建物の入口両脇に狛犬が据えられています。この建物は糖廠の事務所だったのでしょうか。

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狛犬は、なんとも絵画的な表情をした特徴のある姿をしており、何かモデルになった狛犬があるのではと推測しております。また歯の並びの美しさが目を引きました。

更に、吽の頭頂部に角らしきでっぱりがありました。

尾の形は台湾の狛犬によく見られる、両脇の巻毛、中央に立毛というスタイルです。

一目見て狛犬と認識できるバランスの良さ、きれいな彫り、一見の価値がありますのでお近くを訪れた際にはぜひお立ち寄りください。

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Photo_4またこちらでは工場内の見学が楽しめます。なかでも煙のトンネルはなかなか迫力がありました。

見学後は名物のアイスキャンデーを勝利號の車内でいただくのもおつなものですね。

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和美公学校校内神社の狛犬

2006年7月18日訪問

Wabi1 彰化県和美鎮にある、和美國小を訪ねました。この立派な小学校の門をくぐり、狛犬の場所を探そうとしましたが、全く見当がつきません。丁度夏休みとあって、子供たちの姿もまばらです。

やっと上級生をつかまえて、狛犬の場所を教えてもらえました。そこは立派な校舎の横、すくすくと育った樹木の木陰になっており、学校の歴史を記したプレートをはさむようなかたちでちゃんと据えられていました。

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狛犬自体は、新城神社のライオン風狛犬とよく似ています。このパターンは獅子をベースに狛犬を作ろうとした感じがします。尾が特に獅子のようです。何故こういうパターンが登場したのか、一体何が基になったのか、それが気になります。また、和美と新城という離れた場所に存在するのも謎のひとつです。このパターンが広く出回っていたということなのでしょうか。

色々考えながら狛犬を観察していると、子供たちが「何をしているの」と集まってきました。そして先生もやってきました。

狛犬を見に来たと言うと先生は自分は体育教師で「今は夏休みで(そういうことに)詳しい先生がいないので・・・」と仰り、そのまま小学校の資料室へ案内してくださいました。そこには学校の歴史が壁一面に記され、歴代校長の写真や、百周年記念イベントの様子や、折々の行事の写真などが飾られていました。一通り眺めていましたが、その間に先生が狛犬の写っている写真を探して下さっていました。あいにく見つかりませんでしたが、その代わりにと立派な百周年記念冊子を下さいました。その中の古い写真にはかつて神社前に据えられていた狛犬の姿が写っていました。

暑い中、汗だくになって資料を探してくださった先生に厚くお礼申しあげ、小学校を後にしました。

帰国してからゆっくりその冊子を眺めていると、狛犬についてのエピソードが紹介されている新聞記事が見つかりました。そちらを簡単に紹介します。

その記事によると、この小学校は1899年に創立、当時は「和美線公学校」と称しました。創立当初校舎はなく、道東書院を借りて授業を行っていました。6年後の1905年に6つの教室を有する校舎が建てられ、正式に学校としてスタートしました。

その近くには神社がありましたが、第十六回(1920年)卒業生によって一対の狛犬が奉納されました。

戦後神社は撤去されましたが、狛犬は引き続き子供たちと共に学校生活を送っていました。民國五十四年、新校舎設立の際に、役目もなく日本色の濃い狛犬を土中深く埋めてしまおうという話になりましたが、数名の先生方による「保存への強い訴え」のもと、狛犬は何とか難を逃れることができました。

その先生は「狛犬は日本統治時代の遺物としてだけではなく、卒業生達が学び舎へ帰ってきたとき、この狛犬に触れて昔をしのぶことが出来る、大切な思い出の品でもあるのだから、軽率に埋めてしまおうものなら、和美國小の百年に渡る歴史の足跡を辿ることができなくなってしまうのです」と仰られたそうです。

Wabi2 狛犬は先生方の尽力により、校舎の横に安住の地を得ることができました。

これからも在校生を護りそして卒業していった生徒達の懐かしい思い出となり、学校とともに歩み続けるのです・・・

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善化糖廠内神社の狛犬

2007年5月13日訪問

Sp1050143 善化糖廠は、現在ちょっとした人気スポットとなっています。夕方訪れたのですが、結構な人でにぎわっていて驚きました。

アイスクリームを求め、多くの人々が売店に群がっていました。私もまずは緑豆のアイスキャンデーを楽しみました。

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売店で狛犬がいる場所を尋ね、アイスを食べながら煙突の見える方向へ歩いてゆきます。どんどん人気がなくなり、ちょっと離れただけで随分寂しい雰囲気に・・・

そして、階段脇に据えられている狛犬を見つけました。役目を無くし、所在なげにひっそりと佇む姿になんともいえない気持ちになりました。ただ黙ってしばらく頭をなでていました。

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この狛犬はセメント製です。そのため風化が進んでおり、このままだと静かに朽ちてしまうでしょう。

形は石造狛犬というより、木彫に近いようなすっきりしたものです。尾の部分を観察すると、根元の部分があり、そこからすこし上の部分に何かがくっついていたような跡が見られました。

もしかすると根元がループ状になった、金属狛犬のような尾をしていたのではないでしょうか。しかしセメントで造られていたため、その形状ではそう長らく耐えられなかったのでしょう。木彫に近いということは、ブロンズ狛犬にも似ているということですから、やはりその辺を意識して作られた狛犬なのでしょう。

台座には「昭和」「奉納」の文字がうっすら伺えました。奉納者の氏名も何とか確認できました。

S_2日が暮れ行く、あたたかいオレンジ色をした光の中で遠ざかる狛犬は儚げで、そのまま静かに消えてしまいそうでした。

目に焼きついて離れない、本当に寂しげな姿でした。

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「火山」碧雲寺の金属獅子

枕頭山の山麓に位置する碧雲寺は、200年以上の歴史を誇る関子嶺の名刹です。

門前には立派な石獅子が据えられておりますが、実はそのほかにもブロンズ製の獅子が後殿に据えられているのです。

同じく狛犬を趣味とする台湾の朋友が「この獅子はかつては狛犬だったということです」と教えてくれたのは前日のことでした。私は居ても立ってもいられず、翌日早速会いに行った次第です。

期待に胸を膨らませ、門をくぐります。しかし、それらしき姿が見当たりません。

P1080436正面には、比較的新しいものに見える獅子が据えられています。

もしかすると、これのことでしょうか・・・じっくりと眺めます。所々痛みが見られますが、大変美しいのでこれは違うのではと首をひねっていました。

すると、お寺の人たちがやってきて、おもむろにこの獅子についてのいわれを説明してくださいました。

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それによると、やはりこの獅子は日本統治時代、神社に据えられていたもので、戦後こちらへ持ってきたそうなのです。

しかし、それが一体どこの神社のものかなど具体的なことは全くわからないそうです。周りの人々もその説明にその通りだと同意していました。

帰国後、色々調べてみましたが、なかなか資料を探し出せず現在に至ります。

痛みの少ない理由としては、戦後しばらくどこかにしまわれていた狛犬が、何かの拍子に思い出されたかして、丁度きれいになったこのお寺へ据えたらいいんじゃないかということになってのかもしれませんね。

あのお寺の皆さんが嬉しそうになでながら説明してくださったこの獅子について、またこれもひとつのかたちとして狛犬の仲間へ入れておきたいと思うのでした。

ちなみに最近修築されたのか、お寺は大変美しくまばゆいばかりでした。

狛犬の台座も、そのとき一緒にきれいにしたのでしょう。

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能高神社の狛犬

2006年11月22日訪問

能高神社は現在の南投県埔里鎮、虎頭山にありました。

昭和十五年十月鎮座。ご祭神は大国魂命、大己貫命、少彦名命、能久親王。

Sp1040234 戦後、石灯籠の一部と石獅が中心街よりすこし外れたところにある醒霊寺へと移されました。

しかし、石獅といっても狛犬ではなくあくまでも山門に据えられている「石獅」であって、それ以外については詳しいことがわかりませんでした。

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尚、この石獅は「大埔城」の門前に据えられていた130年の歴史がある立派なものですが、その後神社に移設されたものを戦後このお寺へ移したということです。最近になって雨風に晒され苔むして風化することを恐れ、レプリカを作成、それを据えて本家は大切に保存することになったようです。

しかし、台日会の世話役をされている喜早天海さんから大変興味深い記事を紹介していただきました。そこには日本の狛犬らしきものがこの寺に据えられているが、忘れられたような存在となり、寂しそうだ」というようなことが書かれていました。

記事を頂いたのが2006年の7月、それから気になって仕方ありません。そして11月、チャンスを見つけて早速訪れました。

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山門を過ぎ、ずっと奥へ行くとありました、遠目から見ても狛犬に間違いありません。駆け足で近づきます。

まず吽がおり、その斜め向かい、ずいぶん離れたところに阿がおりました。かなりそれだけでも寂しい感じがします。しかし愛嬌のある表情をし、狛犬の証である角(一角)もしっかり際立っています。

台座には「二千六百年十月」「奉献」の文字が刻まれており、鎮座の年と同じであることから恐らく能高神社の狛犬であると思われます。

ただ、台湾の「国家文化資料庫」などで古い神社の写真を確認したのですが、この狛犬とは別の狛犬らしきものが写っておりました。

他の資料を見たところ、また別に台座のみがのこった狛犬らしきものがこの敷地内にあるようです。こちらは、九二一大地震の際、崩れてしまったようですが、もしかするとこの狛犬だったのかもしれません。

実はこの日は朝から大雨で、無事に狛犬と会えるのか心配でたまらなかったのですが、埔里に近づくにつれどんどん晴れてゆき、お寺では明るい日差しのなか対面を果たすことができました。お天気にも感謝の気持ちでいっぱいでした。

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最終日(五日目):宜蘭神社の狛犬と神馬

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前日は台風の影響で大雨でしたが、最終日の朝は霧雨程度になりました。

朝食後、いよいよ最後の目的地となりました宜蘭神社跡へと向かいました。

ここは戦後、忠烈祠となっていましたが最近になって美しい公園へと整備されました。

また、本殿跡は郷土資料館となっており、そこではかつての蘭陽平野一帯の神社についても紹介されています。

狛犬については以前ご紹介しておりますので、そちらをご参照ください。

Photo_4 また、神社には狛犬のほかにも神馬が据えられていました。

しかし戦後とある人が宜蘭市内にある文昌廟へと移し、現在そこで祭られています。

今でも往時の立派な姿は健在でした。

大変美しい、宜蘭神社のスケールにふさわしい神馬です。

                                         

これで全ての行程を終えました。

私は、上杉先生と狛犬たちが対面を果たせたことが本当にうれしくてなりませんでした。

これまで、こつこつと様々な狛犬たちに会いに行きました。

最初はたやすい道のりでしたが、だんだんと情報を得ることが難しくなり、仲間や知人、そして訪れた先の人たちに助けてもらいながら、やっとの思いで会えたことも度々でした。

今現在、それぞれが違った立場となって色んな思いを抱いているであろう台湾の狛犬たちですが、「狛犬」としてごく単純な気持ちで愛する気持ちを持って会いに行くと、心なしか喜んで迎えてくれているような気がするのです。

今回は、私にとっても、そして台湾の狛犬たちにとってもまたとない貴重な機会となりました。

関わった全ての皆さん、そして全ての事柄に感謝の気持ちを捧げたいと思います。

ほんとうにありがとうございました。

実はまだここで紹介できていない狛犬たちがたくさんあります。

それは全て色んな人たちの助けを得て会えた狛犬です。本当にありがたいことです。

これから思いを込めて、ひとつずつ紹介してゆきます。

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第四日目:基隆神社~河東堂獅子博物館

風獅爺を全て見終わった後、昼食を「金門牛家荘」でいただきました。

こちらでは火鍋でサバヒーをいただきました。更には名物の牛肉麺まで!

とてもおいしく、幸せなひとときを過ごしました。

金門尚義機場の近くには大変立派な風獅爺が立っており、その大きさに驚きなつつ別れの挨拶を告げました。

台北へ戻り、基隆へ向かいます。風雨がどんどん強まってきます。台風の影響がかなり出ています。

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到着して神社跡を訪れましたが、かなりの風でした。雨にずぶぬれになってしまった狛犬です。

※この基隆神社の狛犬については、以前に書いておりますので省略いたします。

荒れる海を眺めながら、一行は予定を変更しそのまま宿泊先である河東堂獅子博物館へ向かいました。

河東堂獅子博物館では、実に多くの獅子を堪能することができます。

以前訪れたときの様子をこちらで報告しておりますので、ご参照ください。

上杉先生も、多くの可愛い個性的な獅子たちに囲まれ、ことのほかお喜びのご様子でした。

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第四日目:金門島の風獅爺5

( 次の風獅爺に行く途中に、夏墅村と東洲村の風獅爺を通りすがりに見ることができました。)

9:泗湖村「浯洲陶芸」の風獅爺

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「許願池」のほとりに据えられている風獅爺は、陶芸家の王明宗氏の作品とのことです。

鑑賞型風獅爺に属するこの色鮮やかな風獅爺は、実際目の当たりにするときっとびっくりすることでしょう。何ともいえない迫力があります。

ここでは風獅爺がたくさん生み出され、また小さな作品をお土産としても手頃な価格で購入できます。私も一体お気に入りと出会えたので一緒に帰国しました。         

10:榜林村の風獅爺

S1127 この村にはかつてレンガ及びセメント製の風獅爺が一体ありましたが、民國三十八年に壊されてしまい、その後とある人が個人で資金を出してこの風獅爺を中国から購入し、民國八十二年に開光点眼の儀式を執り行ったそうです。

この風獅爺は本体と台座が一体となっており、台座の四方には美しい文様が彫られています。右手に筆を持ち、左手には印を握っています。

以上、金門島で実際会うことの出来た風獅爺を簡単にご紹介いたしました。

沖縄のシーサーとの関連性について、かなり気になるところです。

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第三日目:金門島の風獅爺3

5:瓊林(金湖鎮)の風獅爺

この集落は古跡が多く、家屋なども良く残っています。とても風情のあるところです。

①保護廟の石造風獅爺

Photo_10 もともとこの風獅爺は保護廟舎仔寺後方にあり、民國三十八年に工事を行った際、土中に誤って埋めてしまったものの、民國四十年前後に雨水に洗われてその姿を現したので、若い村人達が中心になって本来の場所近くに据えなおしましたが、民國四十八年公衆トイレ設置工事のため、現在の場所へ更に移設されたそうです。尚、台座の石は村人達が太武山から運んできたものだそうです。

手には軍令用の小旗を握り、信仰の厚さを物語る赤い立派なマントをなびかせる姿はこれこそまさに風獅爺!という風格で「一夫関に当たるや万夫も開く無し」の意気込みを見せています。

②蔡一族祖廟の風獅爺

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路沖を避けるために祖廟の壁に嵌め込まれている風獅爺は、「塀・屋根の棟型風獅爺(塀に嵌め込んであったり、屋根の上に乗せられている風獅爺。小ぶりでかつ蹲踞型が多い。個人の所有が主で、辟邪を目的として据えられる。)」の中でも特に大きなものです。

塀・屋根の棟型風獅爺は、ここで初めて見たので余りに嬉しくて、遠くからの画像もつけてしまいました。路沖の具合がわかっていただけるかと思います。

6:安岐(金寧郷)の風獅爺

Photo_11 この風獅爺は金門島最大の大きさを誇っています。

この村落では風獅爺が風遮り、風雞が路沖を避け、水尾塔が村境を守っています。

そしてこの立派な風獅爺には「かつて海賊がはびこっていた時代、風獅爺は両の眼を明るく光らせて海賊達にここで(略奪など)は無理だと悟らせ退却させた」という伝説があるそうです。

三日目はここで終了です。また明日・・・

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第三日目:金門島の風獅爺2

2:西園塩場(金沙鎮)の石造風獅爺 

1_22_2西園塩場正面入口横にはオス、そして塩場倉庫の脇にメスの風獅爺が据えられています。

風獅爺はかつて村人共に大小さまざまの戦いを経てきた仲間でもあり、その台座には弾痕がいくつも重なっていたような中、村人達は風獅爺が村を護るという思いをずっと抱き続けてきたそうです。

オスの風獅爺は右手に筆を握り、左手に印を持ち、美しい彫りをした堂々たる姿で見るものを魅了してなりません。

メスの風獅爺は、オスより若干小さく、右手に球を持ち、左手に彩帯を握っています。こちらもどこか愛嬌のある、親しみを感じる風貌をしています。

3:沙美街「西尾甲」(金沙鎮)の石造風獅爺

Photo_8 この風獅爺は、民國七十四年に国内で手に入れたものを据えたもの。そのせいか風獅爺というより、どちらかというと石獅に近い外観でした。

この沙美街にはかつて四体の異なる「甲頭」に隷属する風獅爺があり、毎年旧暦四月二日、風獅爺の生誕日にはすべての信者が拝拝に赴き、瓜や果物、ビスケットに油麺などを風獅爺の前にたくさん並べて祭ったそうです。                                     

                            

4:后水頭(金沙鎮)の風獅爺

①榮湖畔の風獅爺

39 かつて存在していた風獅爺の二代目として、十数年前頂堡村の石工にお願いして新しく彫ってもらったもので、さらにその後黄獻鐘氏によってペンキで塗り上げられたそうです。

とても小さな風獅爺が村落の北境を守る姿は大変けなげで、思わずねぎらいの声をかけたくなってしまいます。

①汶源宮廟埕の風獅爺

40_2  誉れ高き「美背」風獅爺の名に相応しい、大変美しい背中のたてがみを誇る、立派な風獅爺です。

気品漂う大きな瞳、額に描かれた「王」の文字、美しい彫り、心を奪われてしまう素晴らしさでした。

この風獅爺には伝説があり、それによると体のねじれは風獅爺が自らひねったものだそうで、なかなか興味深いお話です。

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第三日目:金門島風獅爺その1

それでは、今回訪ねることのできた風獅爺について簡単にご紹介してゆきます。

1:陽翟(金沙鎮)の風獅爺

ひとつの集落内に「村落型風獅爺(比較的大型で、主に石造。村落の郊外に置かれ、村民全体が所有するものであり、村落全体及び村境を守る。村民は生誕日以外にも普段通り過ぎるときにも拝むことを忘れない。)」が4体もあるのは、金門の中でもこの陽翟だけとのこと。今回はうち3体に会うことができました。

①村の南側斜面に立つ石造風獅爺

1 修築工事の際、うっかり土中深く埋めてしまったが、民國七十二年になってようやく再び掘り出されたもので、毎年旧暦九月二十一日(普庵佛祖生誕日、會山寺で壇を設け祈祷するその時)に拝拝するそうです。

初めて実物に会ったわけですが、あまりにかわいらしくて驚きました。

重責を担っているのに、なんとも素朴で愛らしい、それでいて味わい深い姿にもう釘付けでした。

②會山寺前方の廟埕に立つ石造風獅爺

3 体は細長く、手には黄色い軍令旗を握っています。

この前方に見えているのが国家三級古蹟に名を連ねる「陳禎恩榮坊」になります。                                    

                                               

③會山寺後方に立つ風獅爺

2 陽翟村内唯一のレンガ及びセメント製の風獅爺。内側にレンガを積み、外側をセメントで造り上げたもので、一度壊されたものの民國七十四年、會山寺建て直しの際に風獅爺もあわせて修築し、現在の姿となったそうです。

高い鼻、大きく太い眉が特徴で、表情はりりしさの中にも愛らしさが垣間見え、作り手の愛情がひしひしと感じられました。

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第三日目:金門島の風獅爺

三日目の午後は、高雄の空港から金門島へ行きました。金門島の風獅爺を見るためです。

今回の旅行を計画する前、先生から「金門風獅爺與辟邪信仰(楊天厚・林麗寛著)」をお預かりし、その内容を資料として先生にお渡ししていたのですが、ぜひ今回の旅行で風獅爺を見てみたいということで旅程に組み入れました。

私はこの本を読むまで風獅爺のことはあまり詳しく知らなかったのですが、読み終えるとすっかりその魅力のとりこになっていまいました。

今回は金門島の滞在時間が限られること、軍事施設の見学も含めるということで、風獅爺の一部を廻ることしかできませんでしたが、それでも初めて見る風獅爺には大変感動を覚えました。

風獅爺は村の入口(=はずれ)や、集落の入り組んだ場所に置かれていることがほとんどなので、MTBなどに乗ってのんびりひとつずつ訪ね歩くのが楽しいかもしれませんね。

※尚、これからご紹介する風獅爺につきまして、内容は前述の「金門風獅爺與辟邪信仰」を参考にしております。

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第三日目:台南神社、高雄神社の狛犬

三日目の朝は小雨模様でしたが、最初の台南神社跡までは傘をささずとも大丈夫でした。

Photo Photo_2 台南神社跡は現在公園となっており、また神苑内にあった武徳殿は忠義国民小学の敷地内にあります。去年補修工事が終わり、大変美しい姿を見ることができます。また当時の神橋が地中から掘り出され、神苑の一部を再現した形で再度お目見えすることとなりました。

さて台南神社の狛犬はこちらではなく、忠烈祠に移設されています。

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Photo_5 こちらには石造狛犬、ブロンズ狛犬のほかに神馬像をも見ることができます。

また、上杉先生のお話では台南神社のブロンズ狛犬及び神馬は、出来が良いので恐らく名のある彫刻家の手によるものでしょうとのことでした。

特にブロンズ狛犬ですが、最初一目見られて仰るには湊川神社の狛犬とよく似ているので、何か関係がないかとのことでした。こちらにつきましては、何かわかり次第またこちらでも報告したいと思います。とても気になるお話でした。

続いて、しとしと降りになってきた中、バスで高雄神社へ移動しました。

ここには御影石の立派な狛犬がありますが、私が台湾で初めて出あった狛犬でした。

そのときはツアーに参加して、初めて台湾を訪れた、そして更に初めて訪れた観光地でした。ここで私は衝撃の出会いを経験したのでした。それからずっと、こつこつと狛犬を訪ね歩く旅を続けているのですから、高雄神社の狛犬にはやはり特別な思いを抱いています。

雨の中、静かに先生との対面を果たす狛犬の姿を見て、胸がいっぱいになりました。

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高雄神社の狛犬は、岡崎狛犬と浪花狛犬、そして中国系の石獅も混ざったような、えもいえない風味をかもしだしています。それでも、一見して狛犬と判断できますね。その混沌としたところが台湾に残る狛犬の特徴だと思います。

(狛犬の画像は、別の機会に撮ったものを使用しています)

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第二日目:開山神社(台南神社の狛犬)

再び一行はバスに乗り込み、今度は台南方面へ向かいました。

Sp1060142 今回、「飛虎将軍廟」に参拝しました。ここには日本海軍の飛行機搭乗員、杉浦茂峰少尉が祀られています。私は二度目の訪問となります。前回は何もなく静かでしたがこの日は生誕祝い(生誕日は旧暦10月16日ですが、お供えに「聖誕千秋」とありました)が盛大に行われており、たいそうにぎやかでした。

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もう日が暮れかかっていたのですが、開山神社(現:延平郡王祠)も本日訪れる予定となっていたため、大急ぎでそちらへ向かい、何とかぎりぎり拝観時間内に入ることができました。尚、開山神社は台湾で最初に建てられた神社となります。

戦後、社殿は改築され中国式となっていますが、当時の神輿が残っており、中に展示されています。

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Sp1080369ところで延平郡王祠の牌楼両脇に据えられている石獅子なのですが、上杉先生によると、開山神社のものだったのではないか、とのお話でした。

私自身で実際見たところでも、確かに日本統治時代あたりに作られたものではないかという質感でした。

そのため資料を探しておりますが、残念ながら現在のところ当時の資料で狛犬が写っているものを確認することが出来ておりません。引き続き探して行きたいと思っております。

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この敷地内にある、「台南市民族文物館」の脇には台南神社の笠木がひっそりと置かれています。

そして文物館の前に据えられている石獅子、これは台南神社のものと思われるのです。

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実際見たところ、まさにあの時代の獅子と思われる状態であり、またおなじみのliondogさんのサイトで紹介されている、台南神社の絵葉書のうち、拡大されている石獅子(吽)と実によく似ています。

この石獅子と対面するのはこの時点で2回目でしたが、最初に会ったときから「これはもしや狛犬として据えられていた石獅子ではないか」と疑問を抱いていました。

やはり台南神社の狛犬と思われますので、文献等を探し出してゆきたいと思っています。

この日はこれにて終了です、狛犬たちが今もけなげに頑張っている姿に上杉先生はとても喜ばれており、また心の中でエールを送られていたそうです。

(注:一部画像は、別の日に撮ったものを使用しています)

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第二日目:嘉義神社

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続いて国幣小社であった嘉義神社へ向かいました。

現在、神社跡は忠烈祠となっていますが、書き換えられた社標の土台 部分には石工の名前(日本名)が刻まれていました。   

                                                                                                                     

Sp1060125Sp1060126嘉義公園の奥にある射日塔が建っている場所が、かつて本殿のあったところになります。片倉佳史さんによるとその本殿が建てられる前には、宝物殿の対面に旧本殿があったそうで、その跡が今でも残っています。

私が台湾の狛犬を訪ねるために旅するようになって、初めて会いに行ったのがこの嘉義神社の狛犬たちでした。もう一度、このような素晴らしい機会に訪れることが出来て、感無量でした。

嘉義神社の狛犬は、現在2対残っております。台座が雲脚台となっていますが、上杉先生のお話ではこちらは手間が掛かるため滅多に作らないため、それだけこの神社が重要視されていたのではないかというお話でした。

Sp1060100 Sp1060092 入口に近いところの一対は、毛や犬歯に違いがありますが、前にご紹介しました台湾神宮の狛犬と垂耳の具合や、尾の形が似ております。

やはり何らかの同一モデルが存在して、そこにアレンジが加わったのではないでしょうか。                

                                   

Sp1060113 Sp1060118 奥の宝物殿手前に据えられている一対は、美しい彫りをしております。

形としては、基隆神社の狛犬と似ておりますが、嘉義のほうが若干中国風味が強くなっているような感じです。

                                        

前回入館できなかった資料館で、今回貴重な資料を発見しました。古い嘉義神社の写真なのですが、旧本殿と思われるその前に狛犬が据えられているのです。その尾はぴんと細長く立っており、根元はループ状になっています。更には筋肉質の体格、とくればブロンズの狛犬ではないでしょうか。慌てて上杉先生にご確認いただいたところ、やはりそうではないかとのお話でした。

そのブロンズ狛犬が一体どこへ行ってしまったのか、もう残っていないのか、全くわかりません。しかし、ブロンズ狛犬を据えていたということは、この神社の存在の重みを増すことになるのではないでしょうか。これから嘉義神社のブロンズ狛犬について、何か資料が出てくると良いのですが・・・

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第一日目:汐止神社

汐止神社は現在汐止公園に、そして拝殿と本殿は忠順廟(台北縣汐止市公園路10號)と変わり、市民の憩いの場となっているようです。

桃園神社から車で小一時間ほどかけて訪れましたが、大きくて立派な鳥居に皆さん驚かれていました。

Storii Skouen

さてその鳥居ですが戦後地震や台風などの天災に耐えてきたものの、道路の拡張工事の際傾いてしまい、笠木部分には亀裂も入り、最初はもう撤去しようとなっていたようです。しかしその後歴史文物として保存しようという動きが出てきて、汐止市長が同意し、2005年5月、鳥居を修復したそうです。

他にも石灯籠、社名碑(再利用されています)などが残っています。

では汐止神社の狛犬を改めてご紹介いたします。

UnmaeAmae実は私、ご参加された皆さんへ「汐止神社の狛犬さんはちょっとへたくそなつくりで、思わず噴出してしまうかもしれません」と会う前に解説?していたのですが、それは数年前に初めて会った時の印象をそのまま伝えていました。

しかし、今回再会してそれは誤りだったと反省したのでした。そう、実に愛嬌たっぷりの人懐っこい表情を浮かべた、かわいい狛犬だったからなのです。そして以前はへたくそと思ってしまったその形は、台湾の狛犬らしさでもあったのです。

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このもっちゃりとした胴は、中国の石獅子と雰囲気が似ています。そして尾ですが、これは台湾の狛犬によく見られる炎のような形をしたもので、何らかのモデルが存在するのではと思われます。

更に、胴体に彫られている渦模様ですが、これこそが獅子ではない、狛犬の証ともいえましょう。

確かにあまり腕の良い職人の作品とはいえないかもしれませんが、作り手の愛情がいっぱい込められた、とてもいい表情をしているのです。獅子しか彫ったことのない職人が頑張って狛犬を彫ったのかもしれません。

もしくは台湾の狛犬をずっと見てきて感じたことでもあるのですが、意図的に獅子の要素を混在させたのかもしれません。ただこの出来具合からすると、意図せずとも混ざったのではないかと思いました。

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台湾の神社旧蹟視察と狛犬に逢ふ旅

11月24日(土)から28日(水)まで、4泊5日で標記の旅行にいってまいりました。

台湾の狛犬をたずねて旅をするようになって5年余りが経ちました。

多くの人たちに助けていただいたおかげで、情報として現在までに得ている狛犬についてはほぼ全て訪ねることができました。

台湾に残る狛犬たちのうち、現在新たな職務について頑張っている狛犬もあれば、ただ朽ちるのを待つ狛犬もあります。私はどんな形であれ、狛犬が残っているという状況に感謝してきました。

そして、いつか狛犬を愛する人たちに会ってもらえたら、きっと狛犬たちも癒されるのではないかと想い続けてきました。

今回、そういう機会に恵まれて、私は本当に嬉しくてなりませんでした。実現にあたり、力を尽くしてくださいました皆様に深く感謝しております。

<台湾の神社旧蹟視察と狛犬に逢ふ旅>

一日目:桃園神社、汐止神社、圓山大飯店

二日目:台湾神社狛犬、東石神社、嘉義神社、飛虎将軍廟、開山神社(延平郡王祠)

三日目:台南神社、台南神社狛犬、高雄神社、金門島風獅爺

四日目:金門島風獅爺、基隆神社、河東堂獅子博物館

五日目:宜蘭神社、文昌廟

簡単なスケジュールは以上となります。追ってレポートします。

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東石神社の狛犬

2006年7月18日訪問

・東石神社(現:朴子芸術公園) 昭和11910日鎮座。

・ご祭神は能久親王、開拓三神、天照大神。

・「昭和十一年九月吉日」「郡下聯合保甲」の文字あり。

・特徴:阿の歯は犬歯2本、臼歯17本。吽は不明。角はない。

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東石神社のあった場所は現在朴子芸術公園となっています。なぜ芸術なのかと思っていましたが、「梅嶺美術館」ができたことをきっかけにして、囲いを取り払い、園内を整備して、美しい芸術空間にしよう、となったようです。ちなみに前身は「中正公園」です。戦後国民党に接収され民國34年に海巡部隊の駐屯地となっていたのが、民國76年に軍の手から離れたので、では地元民くつろぎの場所をと公園にしたそうです。

尚、現在ここにある鳥居ですが、実は当時のものではなく、古いものを一旦撤去し、2005年の夏に新しく作ったものだそうです。

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さて狛犬ですが、掃除が行き届いているうえ、かなり装飾されていて面食らいました。

これはかわいらしくしてもらった・・・のだろうなあ、とちょっと噴出しながらあれこれ調べてみたのですが、全てが掴みづらくて仕方ありませんでした。何ともいえない漫画のようなあの瞳に見つめられると、笑いがこみ上げてくるのを止められませんでした。

かなり大雑把な浅い彫り(前足、後足辺りが特に)で、渦模様や尾の形、毛の流れは台湾の狛犬でよく見られるパターンになるため、見本に基づいて台湾で(これも全体のバランス等から恐らく台湾の石工によって)彫られたのだろうと思われます。耳だけ何か混ざったかな。

アクセス方法:嘉義客運バス停が公園の前にあります。嘉義から朴子方面へ向かうバスになります。道沿いの大きな公園で、入口に鳥居があるのですぐわかると思います。

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布袋塩場の狛犬

2006年7月17日訪問

布袋塩場の敷地内に狛犬が残っているということで、会いに行きました。

狛犬に関する詳しい情報が入手できず、設置年やご祭神など何もわからないのですが、とにかく狛犬が残っているということだけを手がかりに会いに行きました(これには色々いきさつがあり、友人の協力なくては叶いませんでした。心から感謝しております。)。

Sp1030548 布袋塩場には、七股塩場同様塩山があるのですが、こちらは立ち入り禁止で登ることができません。それでも初めて目の当たりにした塩山の迫力にはびっくり。熱い風の吹きつける中、飽きずに眺めておりました。塩山の横には売店があり、こちらで塩味のアイスキャンデーを購入しました。他にも興味深い商品が並んでいました。

さあ、狛犬です。花壇の両脇に据えられていたのですが、ここはく本殿があった場所だったのではないでしょうか。あまりうろつくわけにもいかないので、とりあえず狛犬の確認をします。

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顔つきは浪花狛犬に近く、特に首周りのころころとした巻き毛やどっしりとした鼻などはかなりその特徴に近いものがあります。

ただし、やはり浪花狛犬をベースとして産まれた別物という印象がぬぐえません。北投神社の狛犬にも通じるものがあると思います。パーツの一致がところどころに見られます。

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Saun 全体的に丁寧に彫られた狛犬で、全体のバランスもよく、毛の流れも美しく、更に吽の頭にはきっちり角(二角)が彫られているのです。これこそ、狛犬の証といえましょう。「嬉しい!これこそ狛犬!」と思わず口走ってしまいました。これは日本人の石工の手によるものかもしれませんね。

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竹山神社の狛犬

2006年7月17日訪問

<基本データ>

・竹山神社(現:竹山遊憩公園) 昭和13(1938)年2月28日鎮座

・御祭神は明治天皇、大国魂命、大己貴命、少彦名命、能久親王。

・台座に「昭和十三年一月」の文字

・特徴:歯は全部犬歯(計40本)の肉食狛犬。垂耳で、後ろへ向かってはねている。阿の口中に玉有り。吽は左前足に玉有り。

Sp1030597さて、林内神社及び北斗神社の狛犬とモデルが同じではないかと思われる狛犬が続きます。

まず共通する大きな特徴としては阿の口玉・吽の足玉です。

そして尾の形、耳の形、毛の流れと続きます。また、北斗神社狛犬同様、体表に渦模様が彫られています。

ただし、体のひねり具合や線のやわらかさが林内神社の狛犬とは随分異なります。

ですので、ある程度は基本に沿って彫り、そこから先は石工の技量や意思が加わっていったのではないかと思われます。

北斗、竹山、林内は場所的にもとても近いので、一度まとめてみました。

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林内神社の狛犬

2004年7月19日訪問

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<基本データ>

・林内神社(現:林内公園) 昭和15(1940)年4月鎮座。御祭神は天照大神、能久親王。

当時の写真から、狛犬は拝殿に向かって右に阿、左に吽とし参道に直角の形で据えられていたことが判明。狛犬は現在、林内公園内の濟公堂前に据えられています。

・特徴:歯が全て犬歯(計42本)の肉食狛犬。垂耳で、後ろへ向かってはねている。阿の口中に玉有り。吽は左前足に玉有り。全体的に角ばった彫りになっている。

・アクセス方法:林内車站を出てすぐの大通りを右に折れ、7-11を目指して15分ほど歩くと左手に立派な鳥居が見えてきます。

阿の口玉、吽の足玉についてですが、九州でよく見られるということで、狛太郎師匠より解説をいただいています。

この組み合わせは日本でもポピュラーなものですが、このスタイルが日本のオリジナルかどうかは即断できません。私の狭い経験によると、佐賀では少なくとも17世紀中には玉噛みは見えず、18世紀も後半になって口中に固定された玉という形で出現します。一方、玉取りはこれに少なくとも数十年は先行しており、特に陶磁器製の狛犬では、17世紀終盤には様式として確立しています。この林内の狛犬が日本の狛犬を参考にしたことに疑いの余地はありませんが、玉噛み・玉取りの原型が日中いずれにあったのか、興味深いところです。

北斗神社で「林内神社の狛犬と似ている」と紹介しましたが、確かに共通点の多い狛犬になっています。更に種明かしをすると、実は林内神社の狛犬と同じモデルであろうと思われる形が他にも存在しています(続いて紹介してゆきます)。それらは顔までよく似ているので、やはり北斗神社はモデルになった狛犬に対して意図を持って違いを加えたのではないかと思われます。

では林内と北斗の比較をしてみましょう。まず顔ですが、丸と四角で輪郭が異なります。眉毛も違います。でも垂耳と口玉、全部犬歯は一緒です。                     

Slinnaiao0077 Slinnaiunmigiyoko0057 Sp1040801

次に尻尾の部分と、たてがみなど毛の流れもよく似ています。そして吽の足玉も一緒です。

続いて紹介する竹山神社の狛犬を見ると、恐らく同一のモデルがその向こうに垣間見えてくるかと思います。

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北斗神社の狛犬

2004年7月19日訪問、2007年5月12日再訪

Sp1040793Sp1040790Sp1040808_1 肉圓で有名な北斗ですが、ここでは一対の狛犬がひっそりと寄り添って静かに余生を送っているのです。その姿を最初目にしたとき、余りに切なくて涙がにじんでしまいました。

それからずっと心の片隅で気になり続けており、とうとう我慢できずにこの5月もう一度会いに行ってしまいました。個人的にとても可愛くて仕方のない狛犬です。

<基本データ>

・北斗神社 昭和13(1938)年10月6日鎮座。御祭神は明治天皇、大国魂命、大己貴命、少彦名命、能久親王。

当時の写真から狛犬は神殿に向かって右に阿、左に吽とし参道に直角の形で据えられていたことが判明。

戦後すぐに建物は取り壊される(神社跡には「北斗家商」が建っている)。その際狛犬は奠安宮の前に移設されたが、数年前に大規模な改修が行われ、狛犬は現在奠安宮の裏にある市場の倉庫横へ無造作に置かれている。

特徴:頭の占める割合の高い、比較的大型の狛犬。縦約110cm、横約100cm、高さ約55cm。歯が全て犬歯(計32本)の肉食狛犬。垂耳で、後ろへ向かってはねている。阿の口中に玉あり。吽は左前足に玉あり。全身に渦模様あり。

アクセス方法:田中車站からタクシーで15分程度。バスもある。台北から長距離バスで3時間ほど。

この狛犬ですが、次に紹介する林内神社の狛犬と実によく似ているのです。

しかし、北斗神社の狛犬のほうが若干和風であるように感じるのです。最初の印象は「とても腕の良い台湾の石工が林内神社と同じモデルを基に彫り上げた作品ではないか」というものでした。その理由としては恐らく全身に彫られた渦模様がまずポイントとなり、他にも細かい仕事の丁寧さや、線の美しさ、やわらかな仕上がりなども関係すると思われます。

この狛犬に対して、前にもコメントをいただきました狛太郎師匠から「(渦模様について)その手の渦巻きを和風とする所以は、これが和文様でいう『経巻』であり、古瓦の小口にも見られる古い意匠だからです。中国でも伝統文様である可能性はありますが、狛犬の体表にこれをちりばめるのは日本にオリジナリティがあると思います。この石工は日本式狛犬の特徴を観察したとき、この珍しい経巻こそ和風だと感じたのではないでしょうか」という感想をいただいています。

また、liondogさんからも「林内神社の狛犬は一瞬中国の獅子に見えるけれど、北斗神社のものはいかにも日本的に見えるという感じ」との感想をいただきました。

結論としては双方とも台湾で産まれた(台湾人の手による)狛犬だろうけど、日本の「狛犬」たらんことを強く意識したほうが北斗神社の狛犬だった、というところでしょうか。

それでは、続いて林内神社の狛犬をご覧下さい。

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大溪神社の狛犬

2007年5月17日訪問

S_11大溪の「中正公園」ですが、もとになる公園は1912(明治45)年につくられたもので、その後1920(大正9)年に「大溪公園」と名を改めました。そして戦後、1975年に現在の名となったそうです。

1937(昭和12)年より前には、台湾には公園が23箇所しかありませんでしたが、大溪公園はそのうちでランキング第12位だったそうです。

公園には1930年に忠魂碑、1932年に大溪公会堂、(1934年より前に)あずまやが建てられ、そして大溪神社は1932年鎮座。

しかし戦後神社は取り壊されその上に「超然亭」が建てられ、忠魂碑も取り壊されてその円形の台座上には「復興亭」が建てられたそうです。大溪公会堂は、現在でも公園の南端に建物が残っているそうですが、訪れたときには時間がなく、そこまで廻ることができませんでした。

S_12 S_13

石獅子を狛犬として据えてありますが、台座には

・(昭和:文字が削り取られています)七年十月

・奉納

・大溪 加藤仁作

これらの文字を見ることができます。年代から、神社鎮座と同時に据えられたものと思われます。

S_14 この石灯籠の一部(と思われる)にも、同様に昭和七年十月の年号がみられました。狛犬たちとは全く別の場所に、無造作に転がっていました。

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新荘神社の狛犬

<これからしばらく、獅子を狛犬として据えていた例をご紹介してゆきます>

2005年1月2日訪問

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<基本データ>

・新荘神社(昭和12年11月鎮座 御祭神は能久親王、明治天皇ほか)

・台座に「新荘保甲民一同」の文字が刻まれている 

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宜蘭神社の狛犬

2004年7月21日訪問

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宜蘭神社は県社でしたが、金属狛犬を据えているところから、重要な位置を占めていたのではと想像しています。

日本国内で多くの金属狛犬に見られる、芸術的な香りがあまり感じられず、むしろ庶民派ともいえる、かわいらしくて親しみやすい狛犬となっています。

全体的に、彫りのエッジが立っておらず、若干荒々しい仕上がりになっています。また阿の尾(下半身)がセメントで修復されていますが、粗い仕事なので気持ちが有り難いだけに、残念です。しかし、顔のつくりに作り手の愛情を感じてしまうのです。そこがこの金属狛犬の味わいそして魅力となっているのではないでしょうか。

こちらの画像も狛太郎師匠に見ていただきました。抱かれた印象としては、やはり同じようなものだったのですが、とても心温まる感想をいただきました。以下にご紹介いたします。

私はこの狛犬に親しみを感じます。それは金属製狛犬として日本式の金属狛犬に非常に近いと思うからです。特に顔立ちがいわゆる獅子顔で、日本でも見慣れた風貌です。眉も毛筋のある3房に渦の突起を配するなど芸の細かいところを見せていますし、ヒトミには瞳孔も表現されています。口の開き具合もなかなか上品です。このブロンズを造るための元の塑像は、あるいは日本人の手になるものではないかと思うほどです。鋳造技術の問題に加え、外地では良質な素材も手に入らなかったのかも知れないと思うと、これはこれで、よく頑張ったねと声をかけたいくらいです。

更に、狛犬仲間でありますliondogさんから、実に興味深い感想をいただいております。部分的に類似する点を持つ金属狛犬の紹介をいただいたのです。

秋田市の日吉八幡神社にあるブロンズ製狛犬の画像と宜蘭神社狛犬の鬣が比較的わかりやすい画像を並べてみました。ぜひ画像と共に、じっくりご確認ください。

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Syilanamigiyoko0206_2 パッと見、あまり似ている感じがしないと思いますが、引っかかるのが、たてがみの裾が、まるでトリケラトプスの襟巻きを思わせる形で、刺のように張り出している点です。

宜蘭神社の狛犬のうち、吽像はそれほどでもないようですが、阿像のはかなり張り出しているでしょう?ちょっとその点が似ている気がします。金属製の狛犬って、数が少ない上に個性が強くて、なかなかどれとどれが同じ系統だとか言いにくい部分がありますが、これらには共通のモデルでもあるのかもしれません。

ちなみに、この秋田のブロンズ狛犬は、大阪の人が寄進したものです。ということは、製作自体も大阪かもしれない。もしかすると台湾の狛犬を解明する手がかりは大阪にあるのかも。

確かに、お二方の仰る通り私も同様に、金属狛犬については石造狛犬よりも日本独特の色合いが濃いので、モデルが確実に存在していたのではと考えているのです。今のところまだ2対しか金属狛犬が台湾では確認できていません。他にも居たのか、それともかなりまれなる存在だったのか・・・これからの出会いで新たなる糸口がみつかることを期待している今日この頃でした。

<基本データ>

宜蘭神社(現:員山公園内忠烈祠)

置年:神馬前に設置された説明プレートによると「1918年鎮座、祭神は天照大神。3,4年後に神馬が置かれ、狛犬と石灯籠は階段の前に置かれた」とのこと。狛犬の台座は比較的新しいものなので銘板も残っていませんでした。狛犬本体にも、何も彫られておりませんでした。

特徴:金属(銅製)狛犬。角はなし。犬歯合計6本。垂耳で、左右の位置が若干非対称。

アクセス方法:宜蘭車站からタクシーで15分ほどの員山公園にあります。また、公園方面へのバスも出ています。公園から真っ直ぐ伸びる元参道を歩いて一番奥まで行くと忠烈祠への長い階段があり、狛犬はその前に据えられています。

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基隆神社の狛犬

2004年7月18日訪問

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この狛犬を訪問した際の顛末については、先にサイトの日記に書いておりましたが、狛犬の紹介がこんなにおそくなってしまいました。

一見したところ、嘉義の狛犬とよく似ており、尾の形なども同じです。これらは八重垣狛犬の雰囲気を漂わせているので同型モデルが存在したのではと思います。

しかし、やはりそれだけでは納得できないのが台湾の狛犬。特に口玉などは九州の血を感じさせます。

Sjilongamigiyoko0010 Sjilongausiro0009 そこでまたもや狛犬仲間のliondogさんに相談した所、私の狛名をつけてくださった師匠、狛太郎さんに尋ねて見ては、とのこと。早速師匠にご連絡してみていただいたものをようやく発表できます。九州の狛犬に大変造詣の深い、そして狛犬愛あふれる狛太郎師匠による見解をお楽しみ下さい。

Sjilongakao0023 まず口中に玉を噛む意匠は九州の狛犬ではおなじみですし、体中に刻まれた沈線の渦も比較的よく見られるものです。しかし何と言っても、この素朴で人の良さそうな顔立ちこそが、日本の狛犬かと見まごう最大の要因でした。それでも日本製でないと判断する理由は、ひとえに眉の形です。高く突き出た眉に、申し訳程度の渦が表現されています。日本の石造狛犬は正面観、特に顔を重視するものであり、その際、眉は重要なパーツです。動物に眉があるというのも本来は変な話ですが、それでも敢えて眉をつけるからには、それだけ欠かせないものだからに違いなく、それなりに細心の配慮が施されているべき部分です。その点、この狛犬の眉は無造作であり、と言って稚拙とか不慣れという問題ではなく、造形上の意識の違いにほかならないと思います。

確かに、この眉はかなりいいかげんでした。全体的に見ても、嘉義の狛犬がしっかり彫られたものに対し、これは甘く彫ったというか・・・このある意味「詰めが甘い」ように見えてしまう彫りが、台湾の狛犬によく見られるような気がします。その理由としては、恐らくモデルとしたものが写真で、実物を目にしたことがなかった、立体として捉えたことのなかったものを彫ったためではないでしょうか。じゃあ岡崎狛犬のようなものは?となりますが、こちらはしっかりした図面のようなものがあったのではと思います。大正~昭和10年代ならば、日本から運んだ可能性もありそうです。

なかなか一言で説明できない、歴史同様に様々な要素を含んだ、味わい深き台湾の狛犬です。

<基本データ>

基隆神社(現:基隆忠烈祠)

設置年:大正八年六月(以下不明)奉納者名もうっすら認識できる。

特徴:犬歯が上下合わせて6本。耳は垂耳で、後ろに流れるような形。阿は玉をくわえている。体表に渦模様あり。頭頂及び耳にも彫られている。

クセス方法:基隆駅から忠一路をまっすぐゆき、愛四路との交差点を左へ。自由橋を渡り、新楽戯院の角を右に折れるとすぐに大きな門があり、上まで登ったところの右奥に忠烈祠への階段があります。

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北投神社の狛犬

北投神社の狛犬は現在、逸仙國小にあります。

最初、その存在について片倉佳史さんに教えていただいたとき、いきさつもお伺いしました。それによると、神社が取り壊される直前、こっそり学校の職員の皆さんが夜陰に乗じて敷地内へ運び込み隠したそうです。それを決意した当時の先生方へ、ただ頭が下がる思いでいっぱいです。

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2005年1月の時点では、校舎前の花壇近くに据えられていました。しかも、阿のほうは花壇に埋もれていました。

その時は守衛さんにお願いして中へ入れていただいたのですが、しばらくすると先生がいらっしゃって北投神社のお話を聞かせて下さいました。

何故狛犬は今花壇(階段)の横にあるのかお尋ねしたところ、前は別の場所にあったけれども、新しく校舎を建てたときにここへ移したということでした。どこに据えたものかと、様々な事情があって悩まれたのかもしれません。

さてこの狛犬ですが、つくりからすると昭和初期辺りのものだと思われます。顔の部分は他にもよく似た狛犬が台湾に存在しており、恐らく浪花狛犬をアレンジした形(別の要素が混じっているので)がベースになったモデルが存在したのでしょう。

ちなみに青く塗られている理由としては、所謂「青獅」を意識したのでは、と勝手に推測しています。

Sp1050689そして2006年夏、狛犬は学校の正面へ移されました。

今年の5月になって、ようやく会いに行くことが出来ました。

胸を張る青い狛犬の姿に、感無量でした。私は今護っている対象が子供たちになったんだと、そう思っています。

Sp1050696 Sp1050690 Sp1050693 Sp1050694

Sp1050714 アクセス方法:捷運淡水線北投站にて支線へ乗り換え、新北投站下車。

駅を出て泉源路(左画像中央の通り)を山側へ向かって歩いて5分。右手にあります。

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國史館から和美に里帰りした狛犬

Sguoshiamae Sguoshiunmae Sguoshiayoko Sguoshiunyoko

                                

                

私がこの狛犬と初めて会ったのは、2005年元旦、中興新村にある國史館の敷地内に据えられていたときでした。

まず國史館のプレートにあった説明から抜粋してみますと

・台湾建業有限公司の工場前道路わきに置かれていたものが八十三年三月寄贈された

・もともとはそこあった神社のもので、神社は大正十三年十月鎮座。戦後取り壊された

ということでした。

その後、この狛犬は和美鎮の徳美公園に移設されました。その顛末は公園に新たに据えなおされた狛犬の脇に記されてありましたので、簡単にご紹介いたします。

・新高製糖株式会社 中寮糖廠の敷地正門にこの狛犬が据えられ、警護についていた(神社の参道もかねていたのか?)

・戦後神社は取り壊されたが、狛犬は独特なつくりをしていたので、台糖公司と名を改めたそこの宿泊施設に移設された

・その後和美鎮の人が國史館を訪れたとき狛犬の展示に気が付いた。いろいろ調べたところ和美で長年失われていた文物と判明

・なんとか里帰りさせないと、と協議の上、民國九十四年四月二十二日にこの場所に移設された

Shemei きっと故郷で安住の地を得たこの狛犬は、懐かしい風に吹かれながら様々な思い出に浸っていることでしょう。地元の人々にかわいがってもらえたらいいなあと、心からそれを願っています。                                  

                                                                                                                  

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Sguoshiao狛犬としては、台湾神社のそれとつくりが似ています。しかし同じではないので、モデルが混在しているのかもしれません(このことについては、少し思うことがあるのでもうすこしまとまったら書いてみたいと思います。混ぜたのは意図的ではないかと、最近はそう考えています)。

    

(補足しますと、その中寮糖廠というのは戦後台湾糖業公司の管轄となりましたが、更に台湾建業公司というところに管轄が移ったようです。そのいきさつがよくわからないのですが・・・)

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岸内糖廠の狛犬

20041231日訪問

<岸内糖廠内神社>

1903(明治16年)12月「鹽水港製糖株式會社」設立。1907年日本人が経営者となり、それから糖廠内神社を鎮座(具体的な年月日は不明、おそらく同時期)。御祭神は天照皇大神。

狛犬の特徴:いろんな要素(見る限りでは岡崎、八重垣、浪花など)がミックスされていて、台湾の狛犬らしい、何とも言えない味わいとなっています。「台湾に残る狛犬」は歴史的背景を内包する存在であるため、そちらへつい目が行ってしまいがちなのですが、狛犬そのものを鑑賞するに当たり、実に興味深くまた独特の楽しさを秘めた部分があります。ぜひそこをご紹介できたら、と考えています。

ここは現在、岸内國小の敷地内なので、職員室を訪ねました。すると先生が出てきて下さいました。狛犬についてのお話を伺ったところ「100年ほど前に彫られたものですが、戦後いたずらされ黄色に塗られてしまいました。それを台湾人の先生にそぎ落として(?なんかがりがりとこするような所作みたいです)もらったのですが、そのときに尻尾が(根元の細い部分)折れてしまったのです。」とのことでした。

狛犬は小学校の中庭に据えられています。石灯籠の並ぶ小道をゆくとその奥に見えます。明るくきれいな庭で、狛犬たちは尾は欠けたものの、きれいにしてもらえたせいか嬉しげに見え、本当何よりでした。

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南投神社の狛犬

2004年12月31日訪問

<南投神社>

大正十五年鎮座。

昭和十八年に南投公園(現在の中山公園)内から現在の南投高中内へ移設。

御祭神は能久親王、大国魂命、大己貴命、少彦名命、天照皇大神

狛犬の特徴:形がいまひとつはっきりしない(決まった形にうまくはまっていない)ところから、ごく初期の岡崎現代型であろう。しかも、日本で彫り大正十五年に運んだとすれば、時期としてとてもすっきり納得がいく。よしんば台湾で彫ったとしても、日本人、しかも現役で多くの狛犬を手がけていた石工の手によるものであろう。

   

    ・・・・・・・・・・・   ・・・・・・・・・・・

   

こちらへは、予めご紹介をいただいた上訪問し、校長先生にご案内していただきました。

南投神社跡は現在南投高校となっています。中庭には神社の遺構がわずかながら残っています。校長先生のお話では、見事に茂った楠も残されており、それには大変感謝されているとのことです。

狛犬は最初は正門前に据えられていました。この学校には立派な資料室があるのですが、現在はそちらへ移されています。校長先生によれば、何か狛犬にふさわしい場所があればよいのですが・・・とのことでした。

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麻豆総爺糖廠内神社の狛犬

2004年12月31日(金)訪問

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総爺芸文中心の奥にある、もと神社のあった場所にある総爺國小中庭に狛犬が残されているということで、会いに行きました。小学校の敷地内なので、お断りを入れると中から校長先生と教頭先生が出てきていろいろ説明してくださいました。

まず見たところ瞬間に狛犬と判別できますが、しかし何か言い切るにはしっくりこない。これは台湾に残る狛犬のほとんどに会って感じてきた第一印象です。

恐らく、日本から渡った石工が、台湾の石工にその技法を伝え、そして彫られたかもしくは手本となる狛犬(恐らく画像もしくは設計図)を基に彫られたためではないかなと想像しています。

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Sp1000553この麻豆の狛犬も、顔の印象は浪花狛犬系だと思ったのですが、それだけでは分類できないものがあります。まず毛の流れは獅子とよく似ており、尾の形もちょっと浪花狛犬ではない別のもの(総爺國小の校長先生曰く「富士山を表現しているんですよ」)です。そして体の渦模様は西日本の狛犬でも何度か見かけました。

帰国後、私の狛犬仲間、liondogさんにご教示を仰いだところ、尾や渦模様から名古屋型と獅子が混じったようなものではないかということでした。

Sp1000573 そしてこの配置なのですが、何故そっぽを向いているかと不思議に思い、校長先生にお尋ねしたところ「当時神社にすえてあった通り左右に置いたのですが・・・」とのこと。単に縦横を逆に置いたのでこうなったようです。

Sp1000580 そして狛犬とひとしきりご対面の後、当時の資料が残る部屋を案内していただきました。当時の写真が出てきましたが、確かに狛犬らしき姿が見られました。他にも糖廠時代の資料が山のように残っており、それらを眺めているとあっという間に時が流れてしまいました。この敷地内には、数多くの日本建築や、防空壕が残されています。建物は現役で頑張っていました。100歳を越す立派な老樹、糖廠時代の五分車、見所満載ですのでぜひ一度訪れてみてください。

アクセス方法:現在、神社跡は総爺國小になっています。台南や新営から興南客運に乗って麻豆へ。そこから歩いて約2km。とても道がややこしい街なので、地図でしっかり確認するとよいかも。ちなみにガイドブック(戸外生活シリーズ)には「六雙行きの興南客運に乗り換えて総爺站下車すぐ」とありましたが・・・

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佳冬神社の狛犬

2004年12月29日(水)訪問

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朝7時前に高雄から枋寮方面へ向かう國光客運に乗り、屏東県の佳冬を訪れました。

台十七線沿いに鳥居が見えたので奥へゆくと神橋があり、それを渡ると本殿跡と思われる土台がありました。しかし狛犬の姿は見られません。

焦って周りを探していたところ、何と狛犬の尾らしきかけらを発見。かなりのショックで目の前が真っ暗に。ふらふらさまよっていたら同行していた友人が倒れた建物の下敷きになっている狛犬を発見したと駆け寄ってきました!

Jiaongmae_1 打ちひしがれている場合ではありません、必死で屋根の下へ入り込み、その姿を確認しました。あんな命がけ?で狛犬に会いに行ったのは初めてでした。外へ出て浴びたまぶしくさわやかな朝の光が切なく感じられました・・・

こんな状態なので、いつどうなるかわかりません。もし会いに行きたいとお考えの方は、急がれたほうがいいと思い、一番初めに紹介しました。

アクセス方法:國光客運の佳冬高農バス停下車すぐ。鉄道の佳冬駅からは枋寮方面へ国道沿いに歩いて2,30分ほど。左手に鳥居が見えます。

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