カテゴリー「狛犬」の43件の記事

佐久間神社の狛犬 その後(2012.3.10訪問)

以前、友人であるsumiさんが情報を提供してくれた佐久間神社の狛犬

その後、sumiさん、さらにもう一名、心強い狛犬好きの仲間も参加してくれることになり、意気揚々と3名で現地に乗り込みました。

到着したのは佐久間神社がかつて存在した、文天祥公園です。
そして以前狛犬が埋もれていた場所を訪れましたが、なにもありません。
下に降りて見てもらっても、それらしきものが見当たりません。

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一番上まで上がって裏にも廻ってみましたが、一向に手がかりがありません。
そして、土の状態をよく見てもらったのですが、もしかしたら掘り出されたのかもしれない、という結論に達しました。

そこで、ダメもとで近くを歩いていた人に、ここに埋もれていた狛犬を知らないか、と尋ねてみたところ、数名のうち一人が近くの公園管理事務所で保管されているんじゃなかったかな、と教えてくれました。

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そこで、慌てて事務所へ移動し、事務所の方に日本統治時代の狛犬はここにあるんですか?と息せき切って尋ねたら、ありますよ!とのこと。

管理事務所内には、公園の歴史や環境の展示物があり、その場所まで案内してくださる道々説明してくださるのですが、せっかくのことなのに狛犬に気を取られた私たちはそれも上の空・・・

そして到着したのは、なんと倉庫でした。

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事務所の方に名刺をお渡しし、狛犬の調査をさせてほしいとお願いしたところ、自由に確認してくださいと許可をいただきましたので、中に入りいろいろ見せていただきました。

笏谷狛犬に似ているかと思いましたが、どうもそうではなさそうです。しかも、全体の形が結構特徴あるように思えますが、残念ながら欠損部が多く、なんとも言えない状況です。狛犬に石獅の要素が加味された、台湾の狛犬ならではの雰囲気が感じられます。

どうして掘り出したのかを伺ったところ、少し前に台湾の歴史を調査している人たちが、この狛犬のことを指摘し、それがきっかけで歴史的遺構として保存することになったため、掘り出したとのことでした。

しかし、掘り出したものの、さてどう保存するべきか、これをこちらで展示するようなスペースを設けたほうがいいのかなど、今現在取扱いについて確定していない、とのお話でした。

2014年9月現在、あれから2年以上が経ちました。
今、この狛犬が歴史的遺構の一部として、皆さんの前に姿を現しているのでしょうか。
また会いに行かなくてはいけませんね。

佐久間神社:大正12年12月8日鎮座(無格社)

橋仔頭糖廠内神社(橋仔頭神社)の狛犬

10年ほど前に狛犬のホームページを作っていましたが、サーバーの契約解除と共にそのままお蔵入りさせておりました。
古い情報ではありますが、備忘録を兼ねて当時紹介していた狛犬の記事を順次アップしていきます。

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昭和6年(1931年)11月5日鎮座。
日本統治時代の1901年、当時としては最新の設備を備えた製糖 工場が橋仔頭に設立されました。

そして、皇民化運動の一環として橋仔頭の製糖工場内に神社が据えられました。神社の本殿はそう大きなものではなく、階段が5段つい ていたそうです。
戦後、神社は取り壊されその跡地に中山堂が国民党によって建てられました。その際瓦礫を全て撤去せず、糖廠の片隅に打ち捨てられたものもあり、 事務所や宿舎のある辺りで石灯籠などの一部がごろごろしていると、狛犬の説明書きにありましたが残念ながら見つけそびれてしまいました。

Hasiunmae_s_2Hasiamae_s Hasioyoko_sHasisippo_sHasiayokogao_s_2   

◎特徴:台湾の狛犬でよく 見られる長い垂耳。通常の犬歯2本。尾は神殿狛犬(木彫狛犬)のそれに似ています。

liondogさんから台南神社の金属狛犬に似てや しないかとのご意見を頂きましたが、確かに毛の流れ、足の形、そして尾の形などが似ています。台南と高雄は近い上、金属狛犬ならば石造狛犬のモデルとなる可能性は十分考えられます。
この狛犬はなんともいえないかわいらしさにあふれ、撫でずにはいられなくなるような人懐っこさで迎えてくれました。

本当に愛おしさを感じて、思わず走り寄ってしまいました。そして、狛犬を見ていると何ともあたたかい気持ちが満ち溢れてきました。この狛犬を彫った石工が込めた愛情が、ひしひしと伝わって来るような気がしてなりませんでした。

それは、おそらく細部まで丁寧に彫られていること、毛の流れぐあいの良さ、全体のバランスもとれていてさらに質感もあるとてもいい狛犬だからなのでしょう。

さらに、なんともいえない素朴さが垣間見えるところが、台湾で生まれた狛犬らしさなのかもしれません。

Hasizentai_s ◎アクセスの方法:橋頭糖廠の門より少し右側に行ったところにある踏切から線路を出て、少し道なりに歩くと右手に広場があり、その奥の中山堂(現在は糖廠の売店になっている)階段下両脇に狛犬が据えられています。




 

瑞芳神社の狛犬

随分ほったらかしにしていたこのブログですが、とにかく書いていくことにしました。
これからしばらくは、台湾の方のブログなどで情報を取集したり、人から教えていただいたりと、書籍や写真等ではっきりとその事実を確認できてはいない狛犬のことを書いていきます。
もし、これらの狛犬のことで、新しい情報や、はっきりとその神社の狛犬であることを証明できる資料が出てきているようでしたら、ぜひ教えていただけませんでしょうか。
ぜひとも、よろしくお願い申し上げます。

瑞芳神社は昭和11(1936)年7月10日鎮座、無格社で、現在瑞芳高級工業職業学校が建っている場所の裏手あたりにあったようです。

そして狛犬は、瑞芳の駅から歩いて10分もかからない場所になる龍嚴宮の両脇にひっそりと据えられていました。  
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最初顔を見たとき、北投神社の青ちゃんを思い出しました。
ただし、瑞芳神社の阿は下が三角形に尖っていますが、北投神社の狛犬はそうではなく、また体つきも瑞芳神社のほうがふたまわりほど大きく感じました。

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体表には狛犬らしく渦模様が彫られており、阿の口玉も立派なものでした。

寸法を測り、写真を撮っていると、近くにいたおじさんに話しかけられました。
この狛犬のことをどこで知った?と聞かれ、友人からと答えると、それがどこの人なのか、その人はなぜこの狛犬のことを知っているのか、と矢継ぎ早に尋ねられました。

おじさんによると、これは日本統治時代の神社の狛犬で間違いない、とのことでした。
何か資料を持っていないかとのことでしたが、私も探しているけれども見つからないのですが、何かお持ちですか?と逆に尋ねる始末。

しかしおじさんは私の答えにがっかりして、そうか、何もないのかと言いながら去って行ってしまいました。

心なしかしょんぼりして見えたその後ろ姿を見ていると、悲しくなってしまいました。

あれから5年が経ちますが、もし何か資料等をご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひご紹介いただけませんでしょうか。
なにとぞよろしくお願いいたします。

2009年4月13日訪問

佳冬神社の狛犬 その後(後編)

(前編からの続きです)
しょんぼりしつつ、神社跡を再訪したところ、神社跡地になんと、尾が残されていたのです。

Photo ほんとうにごろんと、無造作にころがっていました。なので探すというほどのことをすることなく、すぐ見つけられました。私に見つけてもらいたかったのでしょうか・・・そんなくだらない発想をしてしまうほど、わかりやすいところにあったのです。

早速見つけたその尾を、喜び勇んでSumiさん(以前、佐久間神社の狛犬を発見してくれた友人です)と抱えて学校へ持って行きました。この尾はセメントの塊で、中には芯になる鉄骨も入っているため大変重かったのですが、二人で何とか運ぶことができました。

S 再びお目にかかることとなった学校の守衛さんは大変驚いていましたが、尾の残っている阿と共にこの尾を見比べて確認することで、間違いなく吽の尾であることを理解していただきました。

そして、ぜひこの尾を修復してください、狛犬をわざわざ探し出してくださった学校の方々なら、きっとなおしてくださるでしょう、そしてもしよろしければ、修復が済んだ暁にはご連絡ください、と必死でつたない中国語で説明して、名刺を渡しました。守衛さんは大きくうなずき、今日は先生方がお休みですが必ず伝えます、そしてご連絡しますと答えてくださいました。

その後、佳冬高農の徐震魁校長先生に直接連絡を取り、改めて狛犬のお願いしたところ、大変ご丁寧なお返事を頂きました。そこには、狛犬の尾はきっと修復させること、そして修復が済んだら必ず画像を添えて報告しますので安心してください、とありました。私はその心遣いに深く感謝し、その日を楽しみにしてきました。



Photo_2 そしてとうとう今年の9月に、校長先生から尾の修復が終わったこと、そして佳冬神社の遺構が屏東県政府より文化遺産保護の対象に選ばれたことをご連絡いただきました。

そこにはもちろん、立派な尾をつけた吽の姿が添えられていました。

なんとか都合をつけて、10月21日に校長先生を訪ねることができました。その際、自由時報の記者の方が同席され、取材を受けることとなりました。

今回は台湾の廟会に詳しい友人、まきまきさんが同行してくれたおかげで、いろいろ話をすることができました。狛犬のことや、祭りのことなど、記者の方とも楽しくお話できました(彼女の通訳と、英語の先生による通訳、このお二方のおかげで細かい話ができました)。

さらには狛犬友達のliondogさんにも電話で助けていただくという、本当にいろんな方のおかげで狛犬の話をすることができました。

                                                                                                            

                          

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そしてひとしきり話した後、いよいよ吽との対面です。

立派に修復された姿を見たとき、嬉しさのあまり涙が出そうでした。吽も心なしか、誇らしげに見えました。

一番気になっていた、尾の付け根のループ部分ですが、見事に復元されていました。どういう方が修復されたのか訪ねたのですが、なんと廟の修理を手がけている専門家に頼んでなおしていただいたとのことで、そこまでしてくださったから、この美しさになったのだと改めて感動しました。

それから私がよかったねとしきりに狛犬をなでていると、皆さんが大変驚かれていました。そして「触っても大丈夫ですか」と尋ねられました。

確かに、台湾の墓などにある獅子は触れてはいけないと教えてもらったことがあります。なので、狛犬は触っても大丈夫で、石の狛犬はもともと庶民が奉納したものだから、もっと自分達に近しい存在だと思う、とか大まかに話しました。

かつて上杉千郷先生が狛犬は友達だと話されていましたが、まさにおっしゃる通りだと思います。

狛犬が先生方や学生達を見守ってくれる存在でありますよう、そして彼らが狛犬を歴史の先達として大切にしてくれるよう、願ってやみません。 Photo_4 Photo_6

最後に別れのとき、皆さんが私達にしきりにお礼をおっしゃいました。こちらこそ、こんなに狛犬に良くしてくださってどれだけ嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいかと逆に恐縮していたのですが、皆さんこうおっしゃいました。

「あなたのおかげで、今まで特に気にしていなかったこの狛犬が、とても意味のある存在であることを知ることができました、私達に教えてくださって本当にありがとう」

そして、私の手を握り、きっとまた狛犬に会いに来て下さい、とおっしゃられたのでした。

台湾の狛犬を訪ね始めて10年が過ぎ、判明している狛犬をほぼ全て訪ね終えましたが、こんなに嬉しい思いをしたのは、はじめてのことでした。本当にありがとうございました。私も皆さんにこう伝えました。

「私は台湾に残るほぼ全ての狛犬と会ってきましたが、ここ佳冬の狛犬が、どれよりも一番幸福であると思います、皆さんのおかげです、狛犬も心から感謝していると思います、きっと皆さんのことを見守っていくことでしょう」

<自由時報の記事、2012年10月24日(25日かも)掲載>

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嘉義神社の金属狛犬

後編の前に別の狛犬を入れてすみません。

嘉義神社の狛犬に、もう一対金属狛犬があることは
http://tabikoma.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_c51e.html
ここでも触れていたのですが、戦後どこへいってしまったのかわかりませんでした。

しかし、その後台湾人の日本統治時代遺構を調査している若い世代のおかげで、その所在が明らかとなりました。
そういう活動をされている方に教えていただいて、今回嘉義神社の金属狛犬を訪ねることができました。

その訪問先は奉天宮という馬祖廟で有名な新港にある、嘉義県自然史教育館です。
今回、無理を言ってお邪魔させていただいたのですが、林栄誉館長さまはじめ、スタッフの皆様総出で歓迎してくださいました。心から感謝申し上げます。

S_2 お話によると、もともと嘉義県には博物館が二つあって、それが統合された際に狛犬も一緒に移されたそうです。

その時点でこの狛犬は嘉義神社のものだというのは明らかだったそうなのですが、もうすでに対ではなかったそうです。片割れの行方は不明というお話でした。

最初は寶壇館という、隣接する小学校に併設された施設に保管されていたのですが、その後ここに移されたそうです。


S_3 話を伺ったあと、衝撃的な体験をしてしまいました。

なんと、狛犬の体重を量るという、まさに狛犬の体重測定です。

寸法は測っていますが、体重なんてもちろん初めてです。
台座にのっかってるものなので、単体で持ち上げることができないからですが・・・

その衝撃的画像を掲載いたします。

狛犬のなんともいえない表情がたまりません。

ちなみに、どれくらいの重さがあると思いますか?
このときも全員で予測を立てて、大騒ぎしながら測定しました。

結果、29.68kg!意外と軽かったのでした。
中は空洞だからでしょうが。

ちなみに、裏側も見せていただきました。そんなもの見る機会まずないので、これもかなりの衝撃でした。

なにはともあれ、この狛犬が自然史教育館という子供達の教育の場で、後世に彼らの文化や歴史を伝える一員として、とても親切で狛犬に対しても愛情をもって接してくださったスタッフの皆様と、末永く幸せに過ごしていけたら・・・と心から願っています。

佳冬神社の狛犬 その後(前編)

このブログも放置して随分経ってしまいました。私自身が、ものぐさな人間なためです。
折角会えた狛犬たちに、申し訳ないと頭を垂れてわびたい気持ちでいっぱいです。
そんな私が、どうしてもお伝えしたい話があって、今回久しぶりにブログを書きました。


 

P1000236_2このブログを始めたころに、最初にどうしても紹介しておきたかったのが佳冬神社の狛犬でした。
abikoma.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_c610.html

そのとき「狛犬の尾らしきかけらを発見」と書いたのがこれでした。

本当に無造作に打ち捨てられていて、最初に見つけたときはあまりの痛々しさに、思わず叫んでしまいました。

見渡しても胴体はなく、哀れで仕方なかったのですが、持って帰るにはあまりに重たく、後ろ髪を引かれる思いで置いて帰ったのです。

その後、友人達にその話をしたところ、この狛犬に会いに行ってくれた友人がいました。そして、数回目の訪問で、近くの学校に引き取られたことを確認してくれました。                                                                                                                    

Photo その学校は、国立佳冬高級農業職業学校といいます。

ここの先代校長先生が失われていた吽を探し出され、そして阿吽で対にして2010年5月6日に、阿吽揃えて学校の敷地内に据えられたのです。

さらにわかったのが、最初に見たときには、バラックに埋もれて痛ましいと思った阿ですが、実は吽が盗難の憂き目にあったので、阿も同じ目に遭わないようにと隠されていたとのことでした。

地元の方々や、地元の学校の校長先生の思いやりによって、長い間離れ離れだった阿吽は、ようやく安住の地を得たのです。                                                                                                                                            

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そして2012年3月11日、報告を受けてから2年近くが経って、ようやく会いに行くことができました。

敷地は大変広く、そして校舎は大変美しい、立派な学校でした。                                        

その立派な校舎の正面に狛犬たちは誇らしげに鎮座していました。

セメント製なので風雨に晒されると痛んでしまいますが、この狛犬たちはどちらも美しく、そのせいか余計に嬉しげに見えてしまいました。

5年前、バラックの下敷き(隠してもらっていたのですが)になっていた阿です。

とっても生き生きとして、いかにも嬉しげにに見えるのは私だけでしょうか。

元気に過ごしている様子に、頭をなでながら思わず涙がこみ上げてきました。

                                                                                                                                       


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そして、続いては吽へ。

こちらは初めてお目にかかります。

邂逅を経て、漸く対となって落ち着いたことをさぞかし嬉しく思っていることでしょう・・・

しかしなんだか悲しげです。

どうしたのだろうと、なでながらよく見たところ・・・

尾がおかしいのです。

私はこのとき、心底後悔したのです。あのときどうして尾をどうにかしておかなかったのかと。

もう取り返しのつかない、悲しい思いをさせてしまうことをしてしまったと・・・

(前編終わり 後編へ続く)

松尾神社の狛犬(2009.11.21訪問)

嘉義の民雄にある嘉義酒廠には、お酒の直売所があるだけではなく、博物館のようなものが併設されていたりとかなり楽しい観光名所になっているようです。

しかし今回、私と狛犬仲間の目的はただ一つ。松尾神社の狛犬に会うことです。ただそれだけを目指しました。

楽しそうに見物している家族連れや、なぜか大量のハイネケンを買い込んでいる若いカップルなどが集う場所からずっと奥に入っていくと、何だか寂しい場所に出くわしました。

Photo Photo_3 建物の裏手、何もないレンガ敷きの空間にまるで置き忘れられたかのようにぽつんと佇んでいるその姿を目にした途端、思わず車の中で身を乗り出してしまいました。

ひとりぼっちになってしまった狛犬は、知る人もいない中でひっそりと余生を送っていました。

Photo_2 その近くに立派な台座に据えられた神馬がありました。これは旧工場内神社にあったものだそうで、ちゃんと説明プレートまでありました。

狛犬と神馬、あまりに対照的で、やりきれないものがありました。

この狛犬は台座もなく無造作に置かれており、その所在なげな姿を思い出すだけで寂しくなります。

日々を静かに送る狛犬に少しでもおだやかな日々が続くよう、それだけを願ってやみません。

 

Photo_4 口玉は九州の狛犬に近いようですが、嘉義神社の丹後狛犬系にも通じるものがあります。尾の形もこちらに近い形をしています。

表情はおだやかでかわいらしく、台湾の狛犬らしい、なんとも愛嬌がある、やさしい風情を漂わせています。
彫りも朴訥としておりますが、全体のバランスは取れています。

東勢神社の狛犬(2009.11.21訪問)

2010年になりました、あけましておめでとうございます。

このブログの更新が滞っており、狛犬に会うために手を助けてくださった方々、報告を楽しみにして下さっている方々に申し訳なく思っております。今年はなるべく少しずつでも紹介できるように努力いたしますので、どうぞよろしくお願い申しあげます。

さて、2009年は2回台湾を訪れる機会に恵まれました。うち1回は、台湾の狛犬仲間と共に狛犬達を訪れることができました。やはり地元ならではの情報もあり、充実した訪問となりました。また追って報告したいと思っております。

Photo Photo_2 まず一箇所目は東勢神社の狛犬です。こちらは金子展也さんのブログでその存在を知ることができました。その後金子さんからアドバイスを頂き、今回現地を訪問することとなりました。狛犬仲間と共に、一見陶製狛犬のような姿に期待を高めつつ、元東勢高級工業学校内の図書館を目指しました(かつてそこには東勢神社がありました)。

実を言うと廃墟は苦手なのですが、学校跡には近所の方が散策をされていたりと、意外に人気があってほっとしました。
まずすぐに社号碑と思われるものと石灯籠らしきものはすぐに発見できました。
社号碑の脇を登っていくと、階段があってその先には図書館があったのですが・・・

Photo_3 身の丈よりずっと高い雑草が生い茂っているのです。その向こうに建物が見えますが、それが図書館なのです。
しかも周りには野犬がうろうろしており、不気味な遠吠えを繰り返しています。階段にも雑草が茂り、踏み込むのに躊躇してしまいました。それでも階段の脇に狛犬がいるはずだと、勇気を出して草をなぎ倒して登っていきました。すると中に多くの鳥がいたようで、いっせいに飛び出してきました。腰を抜かしそうになりました。そうして階段を何とか登りきりましたが、狛犬はどこにも見当たりません。犬が吠える中、おっかなびっくりそれでもくまなく探しました。しかし見つけられません。狛犬仲間は別の場所を探り出しました。ちょうど近くにいた、廃墟を撮影に来た人にも尋ねたのですが、狛犬は見たことがないとのこと。

しかしここまで来て、あの狛犬に会えないなんて・・・どうしても諦めることが出来ず、もう一度かがみこみながら階段をゆっくり登りました。すると、台座らしきものが草の向こうに見えたのです!

思わず狛犬仲間に発見しました!と電話。近くにいた廃墟を撮影に来た人もそれを聞きつけ、一緒に草をなぎ倒すのを手伝ってくださいました。私は手と顔が擦り傷だらけになりました。特に手首はちょっとした血まみれ状態でした。それでも、狛犬に会いたい一心で必死になって草を倒しました。

Photo_4 Photo_5 そうやって会えたのが、この一対です。残念ながら陶製ではありませんが、とても愛嬌のある、かわいい顔をしています。ちなみにセメント製です。
この姿のモデルは一体何かと考えてみたのですが、実際見てみると陶製狛犬(備前焼)に似ている、というほどではありませんでした。しかし全く無関係とは思えません。もしかしたら、陶製狛犬がかつて台湾に存在したのかもしれません。もしそうだとしたら、かなり興味深い出来事です。

傷だらけになってやっと狛犬との対面を果たせましたが、この素朴な狛犬がこのままひっそりと草に埋もれて忘れられていくのかと思うと、切なくて仕方がありませんでした。学校と共に、歴史から去ってしまうのでしょうか。どうしようもないこととわかってはいるのですが、きれいに残っているだけに、なんとも無念です。

東勢神社:鎮座年 昭和12年7月30日 無格社 (鎮座地 東勢郡東勢街東勢字上新)

青山宮の石獅

2007年5月18日訪問

Photo 艋舺青山宮は台北市貴陽街にある台北市三級古跡のひとつです。1956年創建、霊安尊王を祀っています。

ここには狛犬によく似た石獅が据えられているということで、早速会いに行きました。

青山宮は古い街並みの中によく似合った歴史を感じさせる廟なのですが、正面に近づくとまず目を奪われるのがその石獅でした。

Photo_2 Photo_3

Photo_4 確かにオスの首には鈴がついており、メスは玉取りで子供を連れているというところは石獅らしいのです。

しかし立尾、大きな頭、垂れた耳、そして何よりも狛犬の証とも言える渦巻状の紋が入っているのです。

さてこの狛犬のような石獅は一体いつ頃据えられたのかと、廟の中へ入りチラシをいただいて読んでみました。しかし残念ながら石獅についての記述は特に見られませんでした。

それによると、今の建物は日本統治時代に建てられたもので、清の時代の宮殿建築を取り入れているそうです。後殿は戦後改築されたそうですが、前殿は当時のままのようです。

Sp1050733 さて石の彫刻が大変素晴らしい前殿をじっくり眺めていると、そこかしこに「昭和十三年」の年号が見られます。とすれば、この石獅も恐らくその時期にあわせて据えられたものでしょう。台湾国内で見られるほかの狛犬と鑑みて、この形ならばしっくり来ます。

なぜ廟に狛犬を据えたのか、もちろん日本統治時代だということで考えるのが一番妥当だとは思います。

しかし、戦後台湾国内の寺廟前に据えられた、しかも1980年代以降の新しい獅子(石造りおよび金属製)の中にはどう見ても日本の狛犬をモデルにしたとしか思えないほどにその特徴を備えたものがいくつか存在していることが、台湾の狛犬仲間からの報告により判明しました。

ということは、もしかすると単純に狛犬の姿形がある意味気に入られたところもあるのではなかろうか、という気がしているのです。

獅子の仲間であり、そしてどこか漫画のような、愛嬌のある狛犬が、どこかで好かれているのだとすれば、狛犬だけではなく奉納した人たちや石工の人も嬉しいものがあるでしょう。

清水祖師廟の金属獅子

2007年5月17日訪問

大溪の狛犬をたずねたその足で、バスに乗り三峡へ向かいました。

街をはずれ、どんどん山の中を進むバスの風景があまりに変化してゆくので楽しい小旅行気分でした。

清水祖師廟に一番近いバス停でおろしてもらい、街を散策しつつそちらへ向かいました。

Photo 三峡は古い街並みが所々に残っている、ぶらつきがいのあるところでした。

さて清水祖師廟は、芸術性の高い素晴らしい彫刻で大変有名ですが、それ以外にも興味深いところがいくつかあります。

まず台湾神社の鳥居が正殿の廊柱として使われていることは以前紹介しましたが、そのほかにもうひとつ、ここに戦後据えられた一対の金属獅子のモデルが狛犬だという話をフリーライターとして活躍されている片倉佳史さんから伺ったのです(ただしモデルが狛犬らしい、という伝聞以上のことは現在のところ何もわかっていないそうです)。

というわけで、この金属獅子に会いに行くために、バスに飛び乗った次第です。

Photo_2 さて早速会おうと意気込んで乗り込みましたが、参拝客が団体で訪れた直後だったため、もうえらいことです。もみくちゃです。何とか獅子に近づいたものの、とてもゆっくり見ることができません。しばらくうろうろしていましたが、一向に去る気配もないので、一旦諦めて外へ出て、老街をぶらつきました。

しかし、夕方とあって人気もなく寂しいものでした。諦めきれない私はもう一度清水祖師廟を訪れました。すると、丁度記念撮影中で、何と獅子の反対側に人々が集まっているではありませんか!

Photo_3 Photo_4

Photo_5 このチャンスを逃してたまるか!と必死で写真を撮り、そしてなでなでしました。獅子の頭は大勢の参拝客になでられて、ぴかぴかに輝いていました。

さてこの獅子は、金属狛犬をモデルにしたのだとは思うのですが、それにしてはあのりりしさにかけます。やさしい姿をしており、顔つきなどは特に異なり、どちらかといえば石造り狛犬にも近いものがあります。台湾の狛犬には、金属狛犬と石造り狛犬が混ざったような姿をしたものが見られますが、そのようなパターンをモデルとしたのかもしれません。

また、三義の木彫博物館で見た日本統治時代の木彫狛犬にも似ています。

それは、普段見かけるような木彫狛犬とは似ても似つかぬ姿をしており、石造り狛犬をモデルにして彫ったのではないかと思うような、やわらかい表情とやさしいつくりをしていました。

なぜ木彫狛犬で、そのような姿のものが存在していたのかと、最初見たときにはかなり驚きました。

しかし台湾国内において狛犬は独特のアレンジをされていることが多く、その木彫狛犬ももしかしたらその必要性がまず第一で、こうあるべきという決まりよりもそこにあることが優先され、その結果石造り狛犬や金属狛犬といった既存の狛犬の姿を基に彫られていったのかもしれません。

いずれにせよ、清水祖師廟で日々任務に励んでいるかわいらしい金属獅子が、いつかどこのどのような狛犬をモデルにして作成したものなのか、それがわかる日がやってきたらとても嬉しいのですが・・・

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