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2014年9月の3件の記事

佐久間神社の狛犬 その後(2012.3.10訪問)

以前、友人であるsumiさんが情報を提供してくれた佐久間神社の狛犬

その後、sumiさん、さらにもう一名、心強い狛犬好きの仲間も参加してくれることになり、意気揚々と3名で現地に乗り込みました。

到着したのは佐久間神社がかつて存在した、文天祥公園です。
そして以前狛犬が埋もれていた場所を訪れましたが、なにもありません。
下に降りて見てもらっても、それらしきものが見当たりません。

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一番上まで上がって裏にも廻ってみましたが、一向に手がかりがありません。
そして、土の状態をよく見てもらったのですが、もしかしたら掘り出されたのかもしれない、という結論に達しました。

そこで、ダメもとで近くを歩いていた人に、ここに埋もれていた狛犬を知らないか、と尋ねてみたところ、数名のうち一人が近くの公園管理事務所で保管されているんじゃなかったかな、と教えてくれました。

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そこで、慌てて事務所へ移動し、事務所の方に日本統治時代の狛犬はここにあるんですか?と息せき切って尋ねたら、ありますよ!とのこと。

管理事務所内には、公園の歴史や環境の展示物があり、その場所まで案内してくださる道々説明してくださるのですが、せっかくのことなのに狛犬に気を取られた私たちはそれも上の空・・・

そして到着したのは、なんと倉庫でした。

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事務所の方に名刺をお渡しし、狛犬の調査をさせてほしいとお願いしたところ、自由に確認してくださいと許可をいただきましたので、中に入りいろいろ見せていただきました。

笏谷狛犬に似ているかと思いましたが、どうもそうではなさそうです。しかも、全体の形が結構特徴あるように思えますが、残念ながら欠損部が多く、なんとも言えない状況です。狛犬に石獅の要素が加味された、台湾の狛犬ならではの雰囲気が感じられます。

どうして掘り出したのかを伺ったところ、少し前に台湾の歴史を調査している人たちが、この狛犬のことを指摘し、それがきっかけで歴史的遺構として保存することになったため、掘り出したとのことでした。

しかし、掘り出したものの、さてどう保存するべきか、これをこちらで展示するようなスペースを設けたほうがいいのかなど、今現在取扱いについて確定していない、とのお話でした。

2014年9月現在、あれから2年以上が経ちました。
今、この狛犬が歴史的遺構の一部として、皆さんの前に姿を現しているのでしょうか。
また会いに行かなくてはいけませんね。

佐久間神社:大正12年12月8日鎮座(無格社)

橋仔頭糖廠内神社(橋仔頭神社)の狛犬

10年ほど前に狛犬のホームページを作っていましたが、サーバーの契約解除と共にそのままお蔵入りさせておりました。
古い情報ではありますが、備忘録を兼ねて当時紹介していた狛犬の記事を順次アップしていきます。

   ********************************

昭和6年(1931年)11月5日鎮座。
日本統治時代の1901年、当時としては最新の設備を備えた製糖 工場が橋仔頭に設立されました。

そして、皇民化運動の一環として橋仔頭の製糖工場内に神社が据えられました。神社の本殿はそう大きなものではなく、階段が5段つい ていたそうです。
戦後、神社は取り壊されその跡地に中山堂が国民党によって建てられました。その際瓦礫を全て撤去せず、糖廠の片隅に打ち捨てられたものもあり、 事務所や宿舎のある辺りで石灯籠などの一部がごろごろしていると、狛犬の説明書きにありましたが残念ながら見つけそびれてしまいました。

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◎特徴:台湾の狛犬でよく 見られる長い垂耳。通常の犬歯2本。尾は神殿狛犬(木彫狛犬)のそれに似ています。

liondogさんから台南神社の金属狛犬に似てや しないかとのご意見を頂きましたが、確かに毛の流れ、足の形、そして尾の形などが似ています。台南と高雄は近い上、金属狛犬ならば石造狛犬のモデルとなる可能性は十分考えられます。
この狛犬はなんともいえないかわいらしさにあふれ、撫でずにはいられなくなるような人懐っこさで迎えてくれました。

本当に愛おしさを感じて、思わず走り寄ってしまいました。そして、狛犬を見ていると何ともあたたかい気持ちが満ち溢れてきました。この狛犬を彫った石工が込めた愛情が、ひしひしと伝わって来るような気がしてなりませんでした。

それは、おそらく細部まで丁寧に彫られていること、毛の流れぐあいの良さ、全体のバランスもとれていてさらに質感もあるとてもいい狛犬だからなのでしょう。

さらに、なんともいえない素朴さが垣間見えるところが、台湾で生まれた狛犬らしさなのかもしれません。

Hasizentai_s ◎アクセスの方法:橋頭糖廠の門より少し右側に行ったところにある踏切から線路を出て、少し道なりに歩くと右手に広場があり、その奥の中山堂(現在は糖廠の売店になっている)階段下両脇に狛犬が据えられています。




 

瑞芳神社の狛犬

随分ほったらかしにしていたこのブログですが、とにかく書いていくことにしました。
これからしばらくは、台湾の方のブログなどで情報を取集したり、人から教えていただいたりと、書籍や写真等ではっきりとその事実を確認できてはいない狛犬のことを書いていきます。
もし、これらの狛犬のことで、新しい情報や、はっきりとその神社の狛犬であることを証明できる資料が出てきているようでしたら、ぜひ教えていただけませんでしょうか。
ぜひとも、よろしくお願い申し上げます。

瑞芳神社は昭和11(1936)年7月10日鎮座、無格社で、現在瑞芳高級工業職業学校が建っている場所の裏手あたりにあったようです。

そして狛犬は、瑞芳の駅から歩いて10分もかからない場所になる龍嚴宮の両脇にひっそりと据えられていました。  
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最初顔を見たとき、北投神社の青ちゃんを思い出しました。
ただし、瑞芳神社の阿は下が三角形に尖っていますが、北投神社の狛犬はそうではなく、また体つきも瑞芳神社のほうがふたまわりほど大きく感じました。

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体表には狛犬らしく渦模様が彫られており、阿の口玉も立派なものでした。

寸法を測り、写真を撮っていると、近くにいたおじさんに話しかけられました。
この狛犬のことをどこで知った?と聞かれ、友人からと答えると、それがどこの人なのか、その人はなぜこの狛犬のことを知っているのか、と矢継ぎ早に尋ねられました。

おじさんによると、これは日本統治時代の神社の狛犬で間違いない、とのことでした。
何か資料を持っていないかとのことでしたが、私も探しているけれども見つからないのですが、何かお持ちですか?と逆に尋ねる始末。

しかしおじさんは私の答えにがっかりして、そうか、何もないのかと言いながら去って行ってしまいました。

心なしかしょんぼりして見えたその後ろ姿を見ていると、悲しくなってしまいました。

あれから5年が経ちますが、もし何か資料等をご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひご紹介いただけませんでしょうか。
なにとぞよろしくお願いいたします。

2009年4月13日訪問

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