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2007年7月の4件の記事

竹山神社の狛犬

2006年7月17日訪問

<基本データ>

・竹山神社(現:竹山遊憩公園) 昭和13(1938)年2月28日鎮座

・御祭神は明治天皇、大国魂命、大己貴命、少彦名命、能久親王。

・台座に「昭和十三年一月」の文字

・特徴:歯は全部犬歯(計40本)の肉食狛犬。垂耳で、後ろへ向かってはねている。阿の口中に玉有り。吽は左前足に玉有り。

Sp1030597さて、林内神社及び北斗神社の狛犬とモデルが同じではないかと思われる狛犬が続きます。

まず共通する大きな特徴としては阿の口玉・吽の足玉です。

そして尾の形、耳の形、毛の流れと続きます。また、北斗神社狛犬同様、体表に渦模様が彫られています。

ただし、体のひねり具合や線のやわらかさが林内神社の狛犬とは随分異なります。

ですので、ある程度は基本に沿って彫り、そこから先は石工の技量や意思が加わっていったのではないかと思われます。

北斗、竹山、林内は場所的にもとても近いので、一度まとめてみました。

Sp1030595_1 Sp1030590 Sp1030596Sp1030589

林内神社の狛犬

2004年7月19日訪問

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<基本データ>

・林内神社(現:林内公園) 昭和15(1940)年4月鎮座。御祭神は天照大神、能久親王。

当時の写真から、狛犬は拝殿に向かって右に阿、左に吽とし参道に直角の形で据えられていたことが判明。狛犬は現在、林内公園内の濟公堂前に据えられています。

・特徴:歯が全て犬歯(計42本)の肉食狛犬。垂耳で、後ろへ向かってはねている。阿の口中に玉有り。吽は左前足に玉有り。全体的に角ばった彫りになっている。

・アクセス方法:林内車站を出てすぐの大通りを右に折れ、7-11を目指して15分ほど歩くと左手に立派な鳥居が見えてきます。

阿の口玉、吽の足玉についてですが、九州でよく見られるということで、狛太郎師匠より解説をいただいています。

この組み合わせは日本でもポピュラーなものですが、このスタイルが日本のオリジナルかどうかは即断できません。私の狭い経験によると、佐賀では少なくとも17世紀中には玉噛みは見えず、18世紀も後半になって口中に固定された玉という形で出現します。一方、玉取りはこれに少なくとも数十年は先行しており、特に陶磁器製の狛犬では、17世紀終盤には様式として確立しています。この林内の狛犬が日本の狛犬を参考にしたことに疑いの余地はありませんが、玉噛み・玉取りの原型が日中いずれにあったのか、興味深いところです。

北斗神社で「林内神社の狛犬と似ている」と紹介しましたが、確かに共通点の多い狛犬になっています。更に種明かしをすると、実は林内神社の狛犬と同じモデルであろうと思われる形が他にも存在しています(続いて紹介してゆきます)。それらは顔までよく似ているので、やはり北斗神社はモデルになった狛犬に対して意図を持って違いを加えたのではないかと思われます。

では林内と北斗の比較をしてみましょう。まず顔ですが、丸と四角で輪郭が異なります。眉毛も違います。でも垂耳と口玉、全部犬歯は一緒です。                     

Slinnaiao0077 Slinnaiunmigiyoko0057 Sp1040801

次に尻尾の部分と、たてがみなど毛の流れもよく似ています。そして吽の足玉も一緒です。

続いて紹介する竹山神社の狛犬を見ると、恐らく同一のモデルがその向こうに垣間見えてくるかと思います。

北斗神社の狛犬

2004年7月19日訪問、2007年5月12日再訪

Sp1040793Sp1040790Sp1040808_1 肉圓で有名な北斗ですが、ここでは一対の狛犬がひっそりと寄り添って静かに余生を送っているのです。その姿を最初目にしたとき、余りに切なくて涙がにじんでしまいました。

それからずっと心の片隅で気になり続けており、とうとう我慢できずにこの5月もう一度会いに行ってしまいました。個人的にとても可愛くて仕方のない狛犬です。

<基本データ>

・北斗神社 昭和13(1938)年10月6日鎮座。御祭神は明治天皇、大国魂命、大己貴命、少彦名命、能久親王。

当時の写真から狛犬は神殿に向かって右に阿、左に吽とし参道に直角の形で据えられていたことが判明。

戦後すぐに建物は取り壊される(神社跡には「北斗家商」が建っている)。その際狛犬は奠安宮の前に移設されたが、数年前に大規模な改修が行われ、狛犬は現在奠安宮の裏にある市場の倉庫横へ無造作に置かれている。

特徴:頭の占める割合の高い、比較的大型の狛犬。縦約110cm、横約100cm、高さ約55cm。歯が全て犬歯(計32本)の肉食狛犬。垂耳で、後ろへ向かってはねている。阿の口中に玉あり。吽は左前足に玉あり。全身に渦模様あり。

アクセス方法:田中車站からタクシーで15分程度。バスもある。台北から長距離バスで3時間ほど。

この狛犬ですが、次に紹介する林内神社の狛犬と実によく似ているのです。

しかし、北斗神社の狛犬のほうが若干和風であるように感じるのです。最初の印象は「とても腕の良い台湾の石工が林内神社と同じモデルを基に彫り上げた作品ではないか」というものでした。その理由としては恐らく全身に彫られた渦模様がまずポイントとなり、他にも細かい仕事の丁寧さや、線の美しさ、やわらかな仕上がりなども関係すると思われます。

この狛犬に対して、前にもコメントをいただきました狛太郎師匠から「(渦模様について)その手の渦巻きを和風とする所以は、これが和文様でいう『経巻』であり、古瓦の小口にも見られる古い意匠だからです。中国でも伝統文様である可能性はありますが、狛犬の体表にこれをちりばめるのは日本にオリジナリティがあると思います。この石工は日本式狛犬の特徴を観察したとき、この珍しい経巻こそ和風だと感じたのではないでしょうか」という感想をいただいています。

また、liondogさんからも「林内神社の狛犬は一瞬中国の獅子に見えるけれど、北斗神社のものはいかにも日本的に見えるという感じ」との感想をいただきました。

結論としては双方とも台湾で産まれた(台湾人の手による)狛犬だろうけど、日本の「狛犬」たらんことを強く意識したほうが北斗神社の狛犬だった、というところでしょうか。

それでは、続いて林内神社の狛犬をご覧下さい。

大溪神社の狛犬

2007年5月17日訪問

S_11大溪の「中正公園」ですが、もとになる公園は1912(明治45)年につくられたもので、その後1920(大正9)年に「大溪公園」と名を改めました。そして戦後、1975年に現在の名となったそうです。

1937(昭和12)年より前には、台湾には公園が23箇所しかありませんでしたが、大溪公園はそのうちでランキング第12位だったそうです。

公園には1930年に忠魂碑、1932年に大溪公会堂、(1934年より前に)あずまやが建てられ、そして大溪神社は1932年鎮座。

しかし戦後神社は取り壊されその上に「超然亭」が建てられ、忠魂碑も取り壊されてその円形の台座上には「復興亭」が建てられたそうです。大溪公会堂は、現在でも公園の南端に建物が残っているそうですが、訪れたときには時間がなく、そこまで廻ることができませんでした。

S_12 S_13

石獅子を狛犬として据えてありますが、台座には

・(昭和:文字が削り取られています)七年十月

・奉納

・大溪 加藤仁作

これらの文字を見ることができます。年代から、神社鎮座と同時に据えられたものと思われます。

S_14 この石灯籠の一部(と思われる)にも、同様に昭和七年十月の年号がみられました。狛犬たちとは全く別の場所に、無造作に転がっていました。

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