月眉糖廠の狛犬

2006年7月18日訪問

Sp1030761Sp1030739 台中県后里郷に民國前三年(1909年)誕生した「大甲製糖所」がのちに月眉糖廠となり、そして戦後も改修工事等を経て生産量を回復していたものの、1999年3月には操業を停止。

現在は観光糖廠として再び活気を取り戻しており、私が訪れたときも大型バスで観光客が何組も訪れておりました。

ここの狛犬は恐らく糖廠内にあった神社に据えられていたものでしょうが、肝心の神社の資料がまったく見つかっておりません。

ですので、神社の鎮座年、ご祭神などの情報は他の糖廠内神社同様、残念ながら全くわかりません。

正門を入ってすぐ、正面にある建物の入口両脇に狛犬が据えられています。この建物は糖廠の事務所だったのでしょうか。

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狛犬は、なんとも絵画的な表情をした特徴のある姿をしており、何かモデルになった狛犬があるのではと推測しております。また歯の並びの美しさが目を引きました。

更に、吽の頭頂部に角らしきでっぱりがありました。

尾の形は台湾の狛犬によく見られる、両脇の巻毛、中央に立毛というスタイルです。

一目見て狛犬と認識できるバランスの良さ、きれいな彫り、一見の価値がありますのでお近くを訪れた際にはぜひお立ち寄りください。

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Photo_4またこちらでは工場内の見学が楽しめます。なかでも煙のトンネルはなかなか迫力がありました。

見学後は名物のアイスキャンデーを勝利號の車内でいただくのもおつなものですね。

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和美公学校校内神社の狛犬

2006年7月18日訪問

Wabi1 彰化県和美鎮にある、和美國小を訪ねました。この立派な小学校の門をくぐり、狛犬の場所を探そうとしましたが、全く見当がつきません。丁度夏休みとあって、子供たちの姿もまばらです。

やっと上級生をつかまえて、狛犬の場所を教えてもらえました。そこは立派な校舎の横、すくすくと育った樹木の木陰になっており、学校の歴史を記したプレートをはさむようなかたちでちゃんと据えられていました。

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狛犬自体は、新城神社のライオン風狛犬とよく似ています。このパターンは獅子をベースに狛犬を作ろうとした感じがします。尾が特に獅子のようです。何故こういうパターンが登場したのか、一体何が基になったのか、それが気になります。また、和美と新城という離れた場所に存在するのも謎のひとつです。このパターンが広く出回っていたということなのでしょうか。

色々考えながら狛犬を観察していると、子供たちが「何をしているの」と集まってきました。そして先生もやってきました。

狛犬を見に来たと言うと先生は自分は体育教師で「今は夏休みで(そういうことに)詳しい先生がいないので・・・」と仰り、そのまま小学校の資料室へ案内してくださいました。そこには学校の歴史が壁一面に記され、歴代校長の写真や、百周年記念イベントの様子や、折々の行事の写真などが飾られていました。一通り眺めていましたが、その間に先生が狛犬の写っている写真を探して下さっていました。あいにく見つかりませんでしたが、その代わりにと立派な百周年記念冊子を下さいました。その中の古い写真にはかつて神社前に据えられていた狛犬の姿が写っていました。

暑い中、汗だくになって資料を探してくださった先生に厚くお礼申しあげ、小学校を後にしました。

帰国してからゆっくりその冊子を眺めていると、狛犬についてのエピソードが紹介されている新聞記事が見つかりました。そちらを簡単に紹介します。

その記事によると、この小学校は1899年に創立、当時は「和美線公学校」と称しました。創立当初校舎はなく、道東書院を借りて授業を行っていました。6年後の1905年に6つの教室を有する校舎が建てられ、正式に学校としてスタートしました。

その近くには神社がありましたが、第十六回(1920年)卒業生によって一対の狛犬が奉納されました。

戦後神社は撤去されましたが、狛犬は引き続き子供たちと共に学校生活を送っていました。民國五十四年、新校舎設立の際に、役目もなく日本色の濃い狛犬を土中深く埋めてしまおうという話になりましたが、数名の先生方による「保存への強い訴え」のもと、狛犬は何とか難を逃れることができました。

その先生は「狛犬は日本統治時代の遺物としてだけではなく、卒業生達が学び舎へ帰ってきたとき、この狛犬に触れて昔をしのぶことが出来る、大切な思い出の品でもあるのだから、軽率に埋めてしまおうものなら、和美國小の百年に渡る歴史の足跡を辿ることができなくなってしまうのです」と仰られたそうです。

Wabi2 狛犬は先生方の尽力により、校舎の横に安住の地を得ることができました。

これからも在校生を護りそして卒業していった生徒達の懐かしい思い出となり、学校とともに歩み続けるのです・・・

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善化糖廠内神社の狛犬

2007年5月13日訪問

Sp1050143 善化糖廠は、現在ちょっとした人気スポットとなっています。夕方訪れたのですが、結構な人でにぎわっていて驚きました。

アイスクリームを求め、多くの人々が売店に群がっていました。私もまずは緑豆のアイスキャンデーを楽しみました。

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売店で狛犬がいる場所を尋ね、アイスを食べながら煙突の見える方向へ歩いてゆきます。どんどん人気がなくなり、ちょっと離れただけで随分寂しい雰囲気に・・・

そして、階段脇に据えられている狛犬を見つけました。役目を無くし、所在なげにひっそりと佇む姿になんともいえない気持ちになりました。ただ黙ってしばらく頭をなでていました。

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この狛犬はセメント製です。そのため風化が進んでおり、このままだと静かに朽ちてしまうでしょう。

形は石造狛犬というより、木彫に近いようなすっきりしたものです。尾の部分を観察すると、根元の部分があり、そこからすこし上の部分に何かがくっついていたような跡が見られました。

もしかすると根元がループ状になった、金属狛犬のような尾をしていたのではないでしょうか。しかしセメントで造られていたため、その形状ではそう長らく耐えられなかったのでしょう。木彫に近いということは、ブロンズ狛犬にも似ているということですから、やはりその辺を意識して作られた狛犬なのでしょう。

台座には「昭和」「奉納」の文字がうっすら伺えました。奉納者の氏名も何とか確認できました。

S_2日が暮れ行く、あたたかいオレンジ色をした光の中で遠ざかる狛犬は儚げで、そのまま静かに消えてしまいそうでした。

目に焼きついて離れない、本当に寂しげな姿でした。

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「火山」碧雲寺の金属獅子

枕頭山の山麓に位置する碧雲寺は、200年以上の歴史を誇る関子嶺の名刹です。

門前には立派な石獅子が据えられておりますが、実はそのほかにもブロンズ製の獅子が後殿に据えられているのです。

同じく狛犬を趣味とする台湾の朋友が「この獅子はかつては狛犬だったということです」と教えてくれたのは前日のことでした。私は居ても立ってもいられず、翌日早速会いに行った次第です。

期待に胸を膨らませ、門をくぐります。しかし、それらしき姿が見当たりません。

P1080436正面には、比較的新しいものに見える獅子が据えられています。

もしかすると、これのことでしょうか・・・じっくりと眺めます。所々痛みが見られますが、大変美しいのでこれは違うのではと首をひねっていました。

すると、お寺の人たちがやってきて、おもむろにこの獅子についてのいわれを説明してくださいました。

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それによると、やはりこの獅子は日本統治時代、神社に据えられていたもので、戦後こちらへ持ってきたそうなのです。

しかし、それが一体どこの神社のものかなど具体的なことは全くわからないそうです。周りの人々もその説明にその通りだと同意していました。

帰国後、色々調べてみましたが、なかなか資料を探し出せず現在に至ります。

痛みの少ない理由としては、戦後しばらくどこかにしまわれていた狛犬が、何かの拍子に思い出されたかして、丁度きれいになったこのお寺へ据えたらいいんじゃないかということになってのかもしれませんね。

あのお寺の皆さんが嬉しそうになでながら説明してくださったこの獅子について、またこれもひとつのかたちとして狛犬の仲間へ入れておきたいと思うのでした。

ちなみに最近修築されたのか、お寺は大変美しくまばゆいばかりでした。

狛犬の台座も、そのとき一緒にきれいにしたのでしょう。

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能高神社の狛犬

2006年11月22日訪問

能高神社は現在の南投県埔里鎮、虎頭山にありました。

昭和十五年十月鎮座。ご祭神は大国魂命、大己貫命、少彦名命、能久親王。

Sp1040234 戦後、石灯籠の一部と石獅が中心街よりすこし外れたところにある醒霊寺へと移されました。

しかし、石獅といっても狛犬ではなくあくまでも山門に据えられている「石獅」であって、それ以外については詳しいことがわかりませんでした。

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尚、この石獅は「大埔城」の門前に据えられていた130年の歴史がある立派なものですが、その後神社に移設されたものを戦後このお寺へ移したということです。最近になって雨風に晒され苔むして風化することを恐れ、レプリカを作成、それを据えて本家は大切に保存することになったようです。

しかし、台日会の世話役をされている喜早天海さんから大変興味深い記事を紹介していただきました。そこには日本の狛犬らしきものがこの寺に据えられているが、忘れられたような存在となり、寂しそうだ」というようなことが書かれていました。

記事を頂いたのが2006年の7月、それから気になって仕方ありません。そして11月、チャンスを見つけて早速訪れました。

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山門を過ぎ、ずっと奥へ行くとありました、遠目から見ても狛犬に間違いありません。駆け足で近づきます。

まず吽がおり、その斜め向かい、ずいぶん離れたところに阿がおりました。かなりそれだけでも寂しい感じがします。しかし愛嬌のある表情をし、狛犬の証である角(一角)もしっかり際立っています。

台座には「二千六百年十月」「奉献」の文字が刻まれており、鎮座の年と同じであることから恐らく能高神社の狛犬であると思われます。

ただ、台湾の「国家文化資料庫」などで古い神社の写真を確認したのですが、この狛犬とは別の狛犬らしきものが写っておりました。

他の資料を見たところ、また別に台座のみがのこった狛犬らしきものがこの敷地内にあるようです。こちらは、九二一大地震の際、崩れてしまったようですが、もしかするとこの狛犬だったのかもしれません。

実はこの日は朝から大雨で、無事に狛犬と会えるのか心配でたまらなかったのですが、埔里に近づくにつれどんどん晴れてゆき、お寺では明るい日差しのなか対面を果たすことができました。お天気にも感謝の気持ちでいっぱいでした。

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最終日(五日目):宜蘭神社の狛犬と神馬

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前日は台風の影響で大雨でしたが、最終日の朝は霧雨程度になりました。

朝食後、いよいよ最後の目的地となりました宜蘭神社跡へと向かいました。

ここは戦後、忠烈祠となっていましたが最近になって美しい公園へと整備されました。

また、本殿跡は郷土資料館となっており、そこではかつての蘭陽平野一帯の神社についても紹介されています。

狛犬については以前ご紹介しておりますので、そちらをご参照ください。

Photo_4 また、神社には狛犬のほかにも神馬が据えられていました。

しかし戦後とある人が宜蘭市内にある文昌廟へと移し、現在そこで祭られています。

今でも往時の立派な姿は健在でした。

大変美しい、宜蘭神社のスケールにふさわしい神馬です。

                                         

これで全ての行程を終えました。

私は、上杉先生と狛犬たちが対面を果たせたことが本当にうれしくてなりませんでした。

これまで、こつこつと様々な狛犬たちに会いに行きました。

最初はたやすい道のりでしたが、だんだんと情報を得ることが難しくなり、仲間や知人、そして訪れた先の人たちに助けてもらいながら、やっとの思いで会えたことも度々でした。

今現在、それぞれが違った立場となって色んな思いを抱いているであろう台湾の狛犬たちですが、「狛犬」としてごく単純な気持ちで愛する気持ちを持って会いに行くと、心なしか喜んで迎えてくれているような気がするのです。

今回は、私にとっても、そして台湾の狛犬たちにとってもまたとない貴重な機会となりました。

関わった全ての皆さん、そして全ての事柄に感謝の気持ちを捧げたいと思います。

ほんとうにありがとうございました。

実はまだここで紹介できていない狛犬たちがたくさんあります。

それは全て色んな人たちの助けを得て会えた狛犬です。本当にありがたいことです。

これから思いを込めて、ひとつずつ紹介してゆきます。

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第四日目:基隆神社~河東堂獅子博物館

風獅爺を全て見終わった後、昼食を「金門牛家荘」でいただきました。

こちらでは火鍋でサバヒーをいただきました。更には名物の牛肉麺まで!

とてもおいしく、幸せなひとときを過ごしました。

金門尚義機場の近くには大変立派な風獅爺が立っており、その大きさに驚きなつつ別れの挨拶を告げました。

台北へ戻り、基隆へ向かいます。風雨がどんどん強まってきます。台風の影響がかなり出ています。

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到着して神社跡を訪れましたが、かなりの風でした。雨にずぶぬれになってしまった狛犬です。

※この基隆神社の狛犬については、以前に書いておりますので省略いたします。

荒れる海を眺めながら、一行は予定を変更しそのまま宿泊先である河東堂獅子博物館へ向かいました。

河東堂獅子博物館では、実に多くの獅子を堪能することができます。

以前訪れたときの様子をこちらで報告しておりますので、ご参照ください。

上杉先生も、多くの可愛い個性的な獅子たちに囲まれ、ことのほかお喜びのご様子でした。

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風獅爺以外の金門島名物

風獅爺のほかにもいろんな名物のある金門島。

その中でも特に有名なのが「貢糖」と「包丁」ですが、どちらも手に入れることが出来ました。

S_5 まずは皇帝へ献上したというお菓子「貢糖」。しっとりさくさくした、まさに上等なお菓子という味わいです。

しかも、やたらとバリエーションに富んでいます。甘いピーナッツ風味の生地をベースに抹茶、肉そぼろ、コーヒー、にんにく、ニッキ、更には辛いやつとか不思議なものまで。それを片っ端から試食してゆきました。

その結果、私の中で双璧をなす「海苔」と「胡麻」をお土産に購入しました。ほんとおいしいお菓子でした。

S7 その後台北のコンビニで「貢糖」のストラップを発見し、味を残せない代わりにおいしかった記念として買ってしまいました・・・

こういうグッズがしかもコンビニで売られるほどというのは、台湾の人たちにとってごく当たり前に知られる銘菓なんですね。             

                                            

S_3続いては「包丁」、パンフレットによると砲弾の薬莢を利用して刃物を作り始めたのが「金門鋼刀」の始まりだそうです。金門島は長らく最前線だったので、相当な数だったことでしょう。

今回は、お土産としてキャンプで使うのに手頃な刃渡りのナイフを購入しました。他にももっと小さなものから立派な包丁まで、実に様々な刃物がずらりと並んでいました。

S_4他には、風獅爺に関する資料、そして恐らく「美背」風獅爺をモデルにしたであろう、いかにも「お土産」の風獅爺を購入しました。

土産品といえども、風獅爺なので嬉しくて仕方ありませんでした。

短い滞在期間でこれだけ充実した時間をもたらしてくれた金門島。

次はもっとじっくり堪能できたらいいなあ・・・

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第四日目:金門島の風獅爺5

( 次の風獅爺に行く途中に、夏墅村と東洲村の風獅爺を通りすがりに見ることができました。)

9:泗湖村「浯洲陶芸」の風獅爺

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「許願池」のほとりに据えられている風獅爺は、陶芸家の王明宗氏の作品とのことです。

鑑賞型風獅爺に属するこの色鮮やかな風獅爺は、実際目の当たりにするときっとびっくりすることでしょう。何ともいえない迫力があります。

ここでは風獅爺がたくさん生み出され、また小さな作品をお土産としても手頃な価格で購入できます。私も一体お気に入りと出会えたので一緒に帰国しました。         

10:榜林村の風獅爺

S1127 この村にはかつてレンガ及びセメント製の風獅爺が一体ありましたが、民國三十八年に壊されてしまい、その後とある人が個人で資金を出してこの風獅爺を中国から購入し、民國八十二年に開光点眼の儀式を執り行ったそうです。

この風獅爺は本体と台座が一体となっており、台座の四方には美しい文様が彫られています。右手に筆を持ち、左手には印を握っています。

以上、金門島で実際会うことの出来た風獅爺を簡単にご紹介いたしました。

沖縄のシーサーとの関連性について、かなり気になるところです。

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第四日目:金門島の風獅爺4

四日目は午前中いっぱい、金門島内を廻りました。

7:官裡村(金城鎮)のレンガ゙及びセメント製風獅爺

Guanli 昔ながらの建物が並ぶ集落の奥にこの風獅爺は据えられていました。

その周りは宅地造成中?のようで、更地になっていました。

風獅爺は足元が崩れており、ビニール紐をぐるぐる巻きにしてかろうじて立っている状態でした。

地元のガイドさんによるとこの風獅爺は家が建てられてもそのままここに残される予定だそうです。ぜひきれいな姿で晴れの日を迎えさせてあげて欲しいところです。

8:小古崗(金城鎮)の石造風獅爺

S もともとこの風獅爺は清の乾隆五十年、村内の別の場所に据えられました。しかし民國三十八年に台座を壊され、長い間村はずれの草むらに放置されていましたが、村人による長きに渡る奔走の末、ついに民國八十六年、現在の新たな場所に移設されました。台座には風獅爺の受難及び移設のいきさつが詳しく刻まれています。

大変美しく、りりしいこの風獅爺にはかわいいえくぼがあります。村人達の風獅爺に抱いている敬虔な気持ちが伝わってくるような、立派な台座に据えられ、折からの強風を正面から受け、マントをたなびかせる風獅爺の姿はまさに風を遮りそして煞気を鎮める守り神そのものでした。

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